横浜院長の柏です。先週末は会議で京都に行っておりました。趣味の名曲喫茶めぐり、京都はかつて滋賀医大在籍時に通った「みゅーず」が閉店してしまったので、出町柳にある「柳月堂」に初挑戦。ここは入り口で鑑賞室(談話禁止、パソコン・スマホ禁止(;_;)、チャージ600円)と談話室に分かれておりまして、今回は専用室へ。コーヒーにチーズケーキをつけたら諭吉が2枚飛びましたが(;_;)、写真のオーディオシステムはなかなかのものでした。基本はLPレコードのようで、パチパチいう針雑音も懐かしく、値段に見合った体験だったと感じました。当日はシューマンの幻想小曲集などがかかっていたのですが、それは以前扱ったので今日は同じシューマンのアラベスクop.18にしましょう。マウリツィオ・ポリーニのピアノでどうぞ。
さて、今回も前回の続き、Eテレ「あしたも晴れ!人生レシピ」という番組で「うつ病と向きあう」という回についてのブログ後半です。例によってちょっと間が空いてしまい、番組の臨場感なくてすみません(汗)。番組の、うつ病の回復に必要なこととして、「自分の考え方のクセを見つめなおす認知行動療法で、症状が改善に向かった人のケースも紹介」という部分ですね。番組では、なんと当院と連携しているこまち臨床心理オフィスの平松心理士が登場しました!「こまち臨床心理オフィス」とは臨床心理士によるカウンセリング・心理検査を行う専門機関でして、当院・ハートクリニックの心理部門となります。このため、ハートクリニック4院それぞれに併設する形で4つのオフィスがあります。臨床心理士とは、人の「こころ」を扱う専門職で、基本的には心理学部などで心理学を中心に勉強し、カウンセリングを生業とする専門職です。これまで、日本臨床心理士資格認定協会の試験に合格して得られるのが民間資格である「臨床心理士」だったのですが、最近これとは別に「公認心理師」という国家資格が誕生しました。前者は「心理士」後者は「心理師」なんですよね...ややこしい。クリニックの専門職でいうと、医師、看護師、精神保健福祉士は以前から国家資格だったわけですが、これでようやく心理士にも国家資格ができたことになります。ということは、今後公認心理師によるカウンセリングは保険適応となる可能性も開かれたわけですが、現時点ではそうなっておらず、また国民医療費を考えるとそう簡単でもないとも思われます。現在は精神科医が行う医療行為は保険診療である(診断書やセカンドオピニオンなど、一部は自費となります)のに対して、カウンセリングは保険適応となりません(ちょっとややこしいのですが、精神科医が行うのは通院精神療法、心理士が行うのがカウンセリングとして区別されます)。このため、同一機関で診療とカウンセリングを同時に行うと、それは混合診療とみなされ現在の保険システムでは禁止行為となってしまいます。そのため、当院ハートクリニックの心理部門は「こまち臨床心理オフィス」として独立した組織の形を取り、横浜オフィスであればクリニックが2階にあるのに対して、心理オフィスは6階と物理的に分離してあります。しかし、われわれは日常、密接に連携しながら患者さんのために働いております。検査のフィードバック、カウンセリングや集団療法における連携、定期的なカンファランスなどが両者同席にて行われています。
さて、番組で紹介された認知行動療法。こまち臨床心理オフィスのHPにはこうあります。
認知行動療法とは、対人関係や、自分の気持ち、行動の問題について、特に「もののとらえ方(認知)」や「行動」に焦点をあてながら進めていく心理療法です。自分を困らせる「もののとらえ方(認知)」や「行動」に焦点を当てて検討していくことで、感情や身体反応の改善、「問題」に対するセルフコントロール(=自分自身の力で解決・コントロールする)を身につけることを目標とします。
うつ病では、病気そのものの力によってものの考え方=認知に歪みが生じます。なにをやってもうまくいかないと考える、自分はだめな人間と考える...健康なときには、私たちはうまくいく時もあればいかない時もある、自分には欠点もあるが美点もある、と考えられるものです。たしかに失敗することもあるけど、いつもじゃない。一度失敗しても、まあ今度頑張ればなんとかなるだろう、くらいが健康的と言えるでしょう。もちろん、失敗を重ねてもまったく反省せずに平気平気、と言っているのは困るわけでして、何事も適度なバランスが必要です。うつ病ではこれがマイナス側に極端に傾いてしまっており、どうしても悪い側に目が行ってしまいます。さらにうつ病が重症になると「微小妄想」と呼ばれる精神病水準の症状を呈することもあります。うつ病の三大妄想として、心気妄想(重大な病気にかかっていてもう治らない)、罪業妄想(大変な罪を犯してしまった)、貧困妄想(お金がまったくない)が知られていますが、これらはみな微小妄想に含まれます。この水準になると薬物療法が必須となりますが、うつ病がまだ軽症の場合、認知行動療法は薬物療法と同等の効果を持つとされ、英国では軽度〜中等度のうつ病に対しては標準的な治療法と位置づけられています。わが国では、臨床心理士によるカウンセリングが保険適応に組み込まれていないこともあり、認知行動療法はまだまだ標準的な治療法とはいえないのが現状です。認知行動療法、実は保険収載されてはいるのですが、習熟した医師が30分以上かけて行う、という精神科外来の現場ではあまり現実的とはいえない条件がついており、現実に保険診療が行われている医療機関はかなり少なく、現実には当院のように、認知行動療法を希望される方には臨床心理士が自費にてカウンセリングまたは集団認知行動療法の枠にて行う、という場合が多いものと思われます。
おや、集団認知行動療法という言葉が出てきました。ふたたびこまち臨床心理オフィスのHPから引用しましょう。
集団認知行動療法では、グループスタッフ、他メンバーとのグループワークを通して、自分自身で問題について取り組んだり、解決していけるようになることを目指していきます。
現在、こまち臨床心理オフィス横浜オフィスでは、「コンパッションを取り入れたうつ病の集団認知行動療法」なるちょっと難しいタイトルのついた集団認知行動療法の参加者を募集しています。コンパッションcompassionとはちょっと訳しにくい英単語ですね。passionとは日本語でも「パッション」という言葉を使うことがありますが、強い感情、情熱といった意味ですね。しかしこの単語の原義はキリストの受難のことでして、マタイ受難曲は英語でSt Matthew Passionですね。com-は共にという意味の接頭語でして、いってみればコンパッションは「共に受難する、一緒に苦しむ」といったニュアンスになるでしょうか。
NCNP病院のHPにはコンパッションは「自分や他者の苦しみを感じ取り、それを取り除こうとする取り組み」と書かれていますね。さらには、『欧米では「コンパッション」を高めることがうつや不安、精神的健康を改善することが数多く報告されています』とあります。
骨折してギブスをはめている人は病気(怪我)であることがわかりやすく、まわりからの同情を受けやすいのですが、うつ病はじめ精神科領域の疾患では一見してわかりやすいわけではなく、骨折などと比べるとまわりからの同情を受けることが少ない可能性があります。人間は、このようにまわりからいたわりの気持ちを向けられることによって、自分でも自分の病気、自分の状態に気づき、病気の自分を大事にしなくてはいけないという気持ちが芽生えます。うつ病の方はうつ病になったことによってこころに大きな傷を負っており、回復のためにはまわりから十分ないたわりを受け、また自分でも十分休養を取るなど、自分を大切にする気持ちをもつことがとても大切です。しかし、上記のように周囲のいたわりを十分に受けられないために、あるいはそれは受けられてもうつ病による認知の歪みそのものによって、自分を大切にできなくなってしまう方が多くいらっしゃいます。「コンパッションを高める」とは、自分をきちんと大切にするこころを育てることで、うつ病に対するレジリアンス(No.089参照)を高め、しっかりと回復に向かう手助けとなると考えられます。参加ご希望の方は、担当医師またはこまち臨床心理オフィスまでお問い合わせ下さい。
京都でも、その前に個人的に訪れた金沢でも、欧米人を中心に観光客でかなりにぎわっていました。まもなくゴールデンウィーク、皆様も素敵な時間をお過ごし下さい。ではまた。
横浜院長の柏です。ひと月ぶりの更新となってしまいました。桜も満開を過ぎてもう終わりそうですね。さあ、皆さん外へ出て花を愛でましょう。日本のこころ、美しい桜の花が見られるのは一年のうちでも今だけですよ。さあ、外へ出てみましょう。
さて、去る3月24日金曜日、Eテレにて「あしたも晴れ!人生レシピ」という番組で「うつ病と向きあう」という回が放送されました。皆さんご覧になりましたか?
番組の案内には、
『コロナ禍で増えているといわれる「うつ病」についてとりあげます。きっかけや、あらわれる症状とは?回復に向かうために必要なこととは?スタジオで専門家が解説。また、自分の考え方のクセを見つめなおす認知行動療法で、症状が改善に向かった人のケースも紹介。ポイントは自分と向き合うこと。自分の内側からわいてくる喜びを大切にすること。安藤和津さんが、介護から発症した自分のうつ病の体験と、回復へのプロセスを語る。』
とありました。前半では、長年薬物療法を続けたがなかなかうつ病が回復しなかった男性が、メンターの元で薬を離脱し、そのアドバイスを受けてうつ病から立ち直るエピソードが語られました。番組中で慶應義塾大学の三村教授も話されていた通り、うつ病に対して抗うつ薬の効果が得られないケースが3割はあるとされています。うつ状態であっても実際は身体疾患が隠れている場合もあれば双極性障害などの他の精神疾患である場合もあり、それらの場合は治療方針が異なってきますので一概には言えませんが、抗うつ薬を中心とする既存の薬物療法では十分な改善が得られないケースがそこそこあることは事実です。2種類以上の抗うつ薬を十分量、十分期間服用しても改善しない場合を難治性うつ病といいますが、そうした場合にはmECT(修正型電気けいれん療法)やrTMS(反復経頭蓋磁気刺激療法)といった物理的治療法や臨床心理士による認知行動療法などの手法による心理カウンセリング、環境の見直しなどが標準的な方法論としてはまず考えるところとなります。十分な効果が上がっていない薬をやめるべきかどうか、番組では主治医に内緒で中止されていましたが、それは番組でも話されていたように現に謹んでいただきたいところであり、まずは主治医とよくご相談いただきたいと思います。よくなっていない中での薬物の中止は、下手をすると病状がさらに悪化する可能性も否定できないので主治医の指示の下慎重に行うべき作業でありますが、といって本当に効いていないのであれば投与するだけ無駄なことなので、そこはゆっくりと漸減してゼロを目指していくことは、もちろんその方その方の状況にもよりますが、私はアリだと考えます。
番組では、楽しむことを始め、それから昼間の散歩、アルバイトと続けて行っていくことで回復する様子が示されます。「何もしなければ何も変わらない」ことが語られ、それは事実ですが治療の流れとしては注意しなくてはならない点もあります。
そもそも、うつ病は薬だけではよくなりません。薬はうつ病にてこんがらかった脳の配線を落ち着かせ、「うつ病モード」から「通常モード」に遷移させる触媒のような働きをするとともに、その「通常モード」を維持する働きもある、うつ病治療の中心となるものです。しかし、中等度以上のうつ病治療では、薬物療法は必要条件ではありますが十分条件ではありません。
治療の前半、うつ病の力が強く消耗が激しいときにはまだ無理をしてはいけません。この時期はとにかく休養第一。じっくりとエネルギーがたまるのを待つ時期です。そして、エネルギーがたまると自然に少し動きたくなってくる。少し散歩をしてみるとなにか心地よい気分を感じる。このタイミングをはずさないことがとても大切なのです。まだ十分にエネルギーがたまっていないのに焦りなどから動いてしまうと、当然ながら十分動けないまま消耗し、またダウンしてしまいます。これを繰り返してしまうと、動くこと自体が怖くなります。そして、本来は十分エネルギーが溜まっているにも関わらず動くことができず、適切なタイミングを失ってしまうことになります。この動くタイミングは、早すぎても遅すぎてもうまくいかないわけでして、優れた治療者とはそのタイミングをきちんと捉える力を持っている人だと思います(前回ブログ参照)。
今回の場合はどうでしょうか。番組では、この男性が復帰を急ぐがあまり再燃し、その後長らく低空飛行が続いていたことが語られます。長年の経過の中である程度エネルギーは回復していたものの、再燃のトラウマからなかなか動くことができなかった様子が伺えます。そんな中、メンターの指示で散歩をしてみるという一歩を踏み出せたことが(実際には少々遅かったかも知れませんが)動くにはよいタイミングだったのかも知れません。つまり、この方の回復にはまずエネルギーの十分な回復までの十分な時間が必要だったわけで、治療初期にメンターの言う通りに動いてもうまくいかなかったのではないでしょうか。この方の場合はよきタイミングでのこのメンターの言葉が「触媒」の働きをして「うつ病モード」から「通常モード」に遷移を促したものと考えられるのです。
番組の後半では、認知行動療法による回復のプロセスが紹介されました。番組に登場していた臨床心理士は、当院と連携しているこまち臨床心理オフィスの平松心理士です。次回、この認知行動療法についてお話しましょう。
さて、今日の一曲はチャイコフスキーにしましょう。ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35をマキシム・ヴェンゲーロフのヴァイオリン、ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルハーモニーの演奏でどうぞ。このロシアの交響楽団を日本で聴くことはもうないかも知れませんね。ヴェンゲーロフもまだ若いのですが、最近はあまり演奏活動をされていないようで残念です。ではまた。
横浜院長の柏です。私ごとですが、先週2月28日に無事還暦を迎えました。小学校、中学校の頃のこともつい先日のように思い返すのですが、時の経つのは早いものですね。研修医の頃すごいなーと思った医局の先生方より年が上になってしまい(当時は60歳定年でしたからね)、自分の立ち位置を改めて考えてしまいますね。(イラストは例のいらすとやで「還暦」と検索したものですが...うーん今どきの60歳はこんなに老けてないゾヽ(`Д´#)ノ
そんなわけで、私は大学を出てから精神科医として(当時は初期全科研修とかありませんでしたので)もうすぐ35年ということになりますが、自身の精神科医としてのあり方を振り返り、そこから「優れた精神科医とはなにか」というテーマを、改めて自分なりに考えてみたいと思います。
正しい診立てを行う、薬物療法に精通している、精神療法を適切に行える...このあたりはもちろん優れた精神科医の必要条件ですが、じゃあそれらができたら優れた精神科医なんでしょうか?私は、それではなにか大事なものが足りないと思うんですよね。ではその足りないものは何か。優れた精神科医になるためにはあと何が必要なのか?正解はいろいろあるとは思うのですが、今回は私が考える二つのポイントについて書いてみることにしましょう。
まず一つ目は、先を読む力、想像力です。人生の嵐に巻き込まれて来院された患者さん。この先、どういう経過が予想されるのか。治療を受けることにより、それがどう改善されるのか。一週間後、一ヶ月後、一年後にそれぞれどうなっているのか。精神科医は治療開始にあたり、まずこうした見通しについての仮説を立て、再来のたびにその仮説の検証・修正を重ねていきます。さらに言うなら、この人が病気にならなければどういう人生を辿ったのか。この人が、このタイミングで病気になったのはなぜか。それにはどういう意味がありうるか。このあたりをしっかりと考えて治療にあたることができるのが優れた精神科医ではないでしょうか。
人生の嵐の海に投げ出された患者さんは、今自分がどこを泳いでいるのか、いつになったら岸にたどり着けるのか、何もわからずにいます。それはそうです、人生初の体験ですからね。自分に何がおこっているかわからない、これからどうなるのかわからない、不安にならないわけがない状況です。こうした時にその患者さんに寄り添い、「嵐の中の灯台」となって今いる場所をきちんと伝え、これからの回復への旅路についてこのコースをきちんと説明することが、患者さんの不安を取り去るために必要なことです。そしてそのためには、精神科医自身がこれからどうなるかの的確な予想ができることが必要条件なのです。
そして二つ目は、風を読む力、治療の流れを読む力です。嵐のピークから始まる治療は、順調にまっすぐ進むものではありません。うつ病であれば回復の流れは三寒四温(No.039参照)、よくなったり悪くなったりを繰り返します。意欲も気分も上がらず休職開始。最初は動く気にならず一日布団の上にいますが、そのうちにふと身体がそれまでより軽く感じ、少し動いてみようという日が出てきます。しかしまだ無理はきかず、少しずつ少しずつ、機を見て折を見て行動半径を広げていく。健康な人であれば疲れていれば休み、元気になれば動き出す。しかし、病的な状態にある人の場合、このあたりの加減がご本人でもつかめないことが多いのです。そんな時、精神科医はご本人の羅針盤になり、風見鶏になってその時々の風を読みます。嵐が過ぎ去り無風状態となり、そこから新たなそよ風が吹き始める、そのタイミングをきちんと捉え、今何をすべきか、すべきではないかを判断し伝える。統合失調症であれば、幻覚妄想・精神運動興奮と症状が跋扈する急性期を抜けて、しばらく続く消耗状態。十分な休息が必要ですが、これも数ヶ月たってそこから抜けてくるタイミング、新たな活力の息吹が蘇ってくるのを的確につかみ、リハビリテーションにつなげていく。こうした風を読み、適切なタイミングをつかむことは熟達した精神科医に求められる技量です。早すぎても、遅すぎてもうまくいかないのです。一流の農家が種まきや餌やり、収穫などをその年の天候にあわせて的確に行っていくこと、母親が育児で子どもが伸びたいタイミングで十分な働きかけをして子どもの力を伸ばしてあげることなど、これはあらゆる事象につながることかも知れませんね。
このように、先を読み、風を読む。35年間、精神科医としてこれらのことの大切さに気づき、これらを求めてきました。経験値が上がった分、若い頃よりはそこに近づいているとは思いますが、まだまだ修行の最中です。これからも皆さんの先を読み、風を読みつつ日々の臨床にあたって行きたいと思います。まだまだ若いつもりですからね(^_^)。
では今日の一曲。ラヴェル「古風なメヌエット」をツーバージョンでどうぞ。
まずは、ブラド・ペルルミュテールによるピアノ版です。
こちらは、アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団によるオーケストラバージョンです。どちらもいいですねぇ。ではまた。
さて、前回年末のエントリーではグレーゾーンの話をしました。これは、定型発達と非定型発達(発達障害)の境界領域の話でしたが、最近ではこれを超えて、ニューロダイバーシティという概念が知られるようになってきています。今日は年初一発目の話題として、この話をしたいと思います。
ニューロダイバーシティ...なんかロボットアニメにでも出てきそうなカコイイ名前ですが、さあどういう意味なのでしょうか。ニューロ=神経(neuro)ですね。脳神経という単語があるように、この場合の神経は末梢神経というよりは中枢神経、すなわち脳のことを指していると考えてよいでしょう。そしてダイバーシティ。最近ちらほらとニュースなどでも聞く単語ですよね。え、お台場シティ?うーん、それはたぶんダイバーシティにかけて作った造語なのかと(笑)。そうそう、「ダイバーシティ教育」などという言葉は聞きますよね。ダイバーシティは日本語では「多様性」ですね。さまざまなものがごっちゃにあるような状態。一般的には、民族や人種、国籍、性(性的指向性、性自認ふくむ)、そして障害の有無などについて、その多様性を認めようというのがダイバーシティ活動であり、そのための教育がダイバーシティ教育です。ニューロダイバーシティは日本語では「神経多様性」。経済産業省のHPには、こうあります。
「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方であり、特に、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、学習障害といった発達障害において生じる現象を、能力の欠如や優劣ではなく、『人間のゲノムの自然で正常な変異』として捉える概念
神経多様性なら知的障害や精神障害についても含めてもいいようにも感じますが、歴史的にこの言葉がASDの権利推進活動から生まれたという背景もあるようで、現実には発達障害者の持つ発達特性を、自然で正常な変異(発達凸凹)として認めようということです。ご存知のように、発達特性とは実生活でマイナスに働くこともあれば、プラスに働くこともあります。
例えば...
・ASDのこだわりの強さ→一つのことをやり抜く能力
・ADHDの衝動性→行動力、積極性
などなどです。凸に働くこともあれば凹に働くこともある。大多数派である定型発達の方々を基準に作られたこの世界では、凸凹と飛び出していますが、それは悪いことだけでもありません。さらに言えば、ASDやADHDなど、発達障害の診断基準の項目をぱらぱらと読んでいって、どれ一つあてはまらない、なんて人はいるんでしょうか。私など、とくに子どもの頃を思い出すとASD特性バリバリだったと思います。知り合いの医師を思い浮かべても、ADHDバリバリの先生たくさんいるし...。
医師は診断という作業を行う際、どこかで病気がある/ない、の線を引くことを迫られます。診断は当然ながら治療・支援のために行うものであり、診断の有無によって治療・支援の必要性やその程度を決定することになります。しつこいですがこの診断は心理検査で行うわけではなく、ましてや脳波検査などで行うことは不可能です。生まれてから現在に至るまでの発達特性の出現の経緯をつぶさに聞き取り、前回お話したようにDSM-5などの診断基準にあてはめることで診断をつけます。ただ実際の治療・支援は、診断基準にきれいにはあてはまらないが支援が必要、という人に対しても行われるのが実情です。ここで、診断は治療・支援のためにある、と書きましたが、実はもう一つ、診断は福祉制度導入のため、という目的もあります。障害者としての行政サービスを受けるためには精神障害者保健福祉手帳(発達障害も知的問題メインでなければこちらになります)が必要で、それを入手するためには医師の診断書が必要なのです。障害年金もそうですが、介護保険、訪問看護などのサービス導入にも医師の診断書・意見書は必須です。これらの診断書は生活障害の程度についての記載がメインとなりますが、そうはいっても診断は必須であり、こうしたサービスを受けられる/受けられない、のオール・オア・ナッシングで診断が影響するという事実は、前回お話したグレーゾーン問題に悩むわれわれ医師にとっても頭の痛い問題なのです。
ではここから本題です。今日の本題は、前回お話した「グレーゾーン」という概念から、今日のお題である「ニューロダイバーシティ」への概念拡張、ある種のパラダイムシフトを試みることです。グレーゾーンの考え方というのは、図1に示したように、発達障害と定型発達者の間にグレーゾーンが存在する、というイメージですね。グレーですからまあぼんやりしてはいますが、基本的には発達障害〜グレーゾーン〜定型という3群のタイプ分けがこのコンセプトの主眼にあります。それに対して、ニューロダイバーシティの考え方は図2です。左から右へのグラデーションの絵を入れたかったのですが、なにやらうまくいかんかったので(笑)この絵でこらえてやってください(汗)。線の間隔を見ていただいてご想像いただきたいのですが、図1と同じく右へ行くほど発達特性の色が濃くなることを示しているのですが、図1との違いは、全体を3群に分けることなく、ひとつながりのものとしてと捉えていることです。
定型発達と呼ばれている者でも、前述のように何かしらの特性はある。その程度が人によって違うだけで、その分布は正規分布...かどうかは知りませんが、連続的に分布していて、線を引こうと思えばどこにでも引けるが、ニューロダイバーシティの考え方ではあえて線を引かず、あくまでも連続的なものとして扱う、というのがミソですね。医療診断においてわれわれ医師の仕事は線を引くことですから、これはなかなか新鮮、コペルニクス的展開でもあります。でも、ロシアとウクライナの間にも、アメリカとメキシコの間にも本当は線なんかなく、人が勝手に「国境線」なるものを引いているのと同じで、発達特性の程度にも、本来は線なんかないんです。さらに述べるなら、一般的な意味での特性の強さと実生活での困りごとの程度とは、必ずしも比例しません。発達障害の場合、本来は治療・支援の必要度の高さを基準にすべきで、そうなると実はそれは発達特性自体とは(相関はあるものの)若干のずれがあります。特性バリバリでも仕事へのマッチングがよく、家庭環境に恵まれていればとくに支援の必要はありませんし、逆に診断基準閾値下であっても、環境とのミスマッチが強ければそれは障害相当となります。こうした問題を考えるといつもモヤモヤするのですが、ニューロダイバーシティの図式で考えるとスッキリと捉えられるというものです。もちろん現実には、医師はどこかで線を引いて診断書を書くわけですが、その際にもこうしたニューロダイバーシティの考え方をしっかりと持っているかどうかは、重要なポイントだと考えています。
定型発達と言われる人でも、特性(凸凹)は必ずありますし、みんなその弱点を最小化し、強みを最大化するように知らず知らずに工夫していることでしょう。これを発達障害者の困りごとまで外挿し、みんなでやり方を考えていける世の中にする...ニューロダイバーシティについて皆が知ることは、そうした明るい未来への第一歩なんだと、私は考えています。
今年はじめの今日の一曲はこれ、海のトリトンから「GO! GO! トリトン」です。うーん血湧き肉躍るな。ではまた。
今回は、いわゆる「グレーゾーン」について書いてみましょう。発達障害の診断は、最終的にはDSM-5という診断基準に則って行われます。以前から繰り返し書いておりますが、発達障害はWAISなどの心理検査で診断をつけるわけではなく、ましてや脳波検査などでは診断不可能ですのでそこんとこよろしく、です(参考:No.096, No.393)。
DSM-5では、症状が列記されており必要な数が揃うことで診断が下りるわけですが、中にはいろいろと困りごとはあるものの、その必要な数が揃わないことでASDやADHDなどの発達障害診断に至らない場合があります。このように、そういう特性、困りごとの「傾向」はあるが診断がつかないケースのことが一般に「グレーゾーン」と呼ばれます。最近では、「グレー」という言葉のネガティブな響きから「パステルゾーン」という言葉も使われるようです。
この診断の線引きはなかなか難しいところがありまして、ここでちょっと裏話を。発達障害の専門外来をやっているような専門病院、大学病院の場合、臨床、教育に加えて研究が大きな柱となっています。研究においてはその対象となる患者さんの診断には厳密さが要求されます。そもそもDSM-5は研究者同士がバイアスのかかりにくい同じ診断基準で診断をつけることによって同じ土俵で研究を行うことを目的に策定されたものであり、研究者視線で作られています。なので、有名な専門病院、大学病院の診断はその閾値が相当高いところにあり、少しでも基準を満たさないと「発達障害ではない」となってしまいます。これはめちゃめちゃ正しいのですが、われわれのように市井で臨床をやっていると、困って来院された方に発達障害ではありません、ではさようなら、というわけには行きません。実際には、何らかの「適応障害」を起こしていることは確かであり、発達障害とはつけないにせよ何らかの精神科診断のもとに支援を導入する必要があるわけです。その際、診断基準を満たさないながらも発達特性と関連した困りごとが明確な場合は、その方向での支援が必要なことは言うまでもありません。これは精神障害でも(うつ病の基準を満たさなくともうつ病としての治療を導入する、など)起こりうる現実的問題です。もちろん、過剰診断には慎重でなくてはならないのは当然のことです。
上の図はASD(自閉スペクトラム症)を表しています。DSM-Ⅳの時代まではASDは自閉症、アスペルガー障害、特定不能の広汎性発達障害(PDDNOS)に分かれていました。これらはスペクトラムの色の濃いものから順に並んでおり、一般に自閉症、アスペルガー障害はそれぞれ人口の0.3%、PDDNOSは2-3%というデータが多いところです。ここで、私と大学同期の本田秀夫先生は(著書参照)、10人に1人くらいはASDにつながる「生きづらさ」を抱えているといい、その中でASDの診断につながらない(これこそ「グレーゾーン」ですよね)方をASWD(autism spectrum without disorder; 非障害自閉スペクトラム)と呼ぶことを提唱されています。障害ではないが特性を抱えている方、そういう方はたくさんいるでしょう。私自身、小さい頃は外遊びが嫌いで一人でブロックを朝から晩まで組み立てている、すべての国の国旗を覚える、不器用でボタンがはめられず母親にマジックテープにつけかえてもらう、極端な運動音痴、小学1年ではプールが怖くて全校児童中私だけがプールに入れずプールのまわりを歩く、など今にして思うとASD傾向バリバリでして、その後、頭だけはまあよかったんで知的にカバーすることで今日に至っているな、とつくづく思うわけです。
そんなわけで、グレーゾーンなので治療や支援がいらない、ではない、ということが重要ですね。発達特性とはいろいろな要素からなる複雑系でして、社会性、コミュニケーション、こだわり、感覚過敏、不注意、衝動性、多動性、巧緻運動障害、粗大運動障害、学習障害など、一つ一つがそこまで強くなくとも複数の弱みがある場合、バランスを欠く場合には大きな困りごとになることもあるのです。ここにさらにアタッチメント課題、トラウマ課題、二次障害としての精神障害などが重なるとさらに生きづらい状況が生まれることがあります。診断基準は大切ですが、それに囚われ過ぎず、その人その人の困りごとをきちんと分析し、対応を考えていくことが大切なのです。
発達障害のことばかり書きましたが、グレーゾーンと言う意味では知的障害でも同じことが言えます。知的障害とは物事を認識する力に先天的な弱さがあるもので、大まかには知能指数IQで70未満を指します(DSM-5になり、知的障害はIQのみで決めるものではなくなっておりますが、その話はまた別の機会に)。この知的障害におけるグレーゾーンが「境界知能」と呼ばれるもので、おおよそIQが70-85の間のものとされています(このNHKの記事の正規分布グラフを参照下さい)。知的障害が人口の約1%なのに対して、この境界知能水準の方は約14%=1,700万人と、およそ7人に1人の方がここに相当します。知的障害の場合と同じく、境界知能もIQ値だけで判断するのは早計でして、人によって認識の苦手さのパターン、程度は違いますので境界知能水準であっても多くの方はそこまで困ることなく日常生活を送っておられます。一部の方が、置かれた環境において求められる認知能力とのギャップから生活や仕事で困りごとが生じることになるのです。大学全入時代を迎え、大卒の方であっても仕事で困難を抱えて来院され、調べてみると境界知能水準であって仕事の理解困難がその背景に存在することがあります。うつ病などの疾病によって認識力が低下したわけではなく、もともとその仕事に求められる水準に認識力が達していないわけです。発達障害の場合と同じく、苦手分野を正しく分析してより適性に見合った仕事内容に従事することが大切であり、周囲の配慮や工夫で難しい場合は、配置換えや転職などによりより能力に見合った仕事に就けるような動きが必要となります。なお、WAIS検査は大変混み合っていて発達障害を疑う方を優先的に行っていますので、境界知能疑いでこれを行うのは実は現実的ではありません。このため、実際には診察室の会話の様子、職業機能などから精神科医は推定していくのが現状です。
では今日の一曲。No.400で使うつもりが水木アニキの訃報で予定変更となったので、ここで王道としてベートーヴェンにしましょう。彼のヴァイオリン・ソナタの最高峰、第9番「クロイツェル」を、ワジム・レーピンのヴァイオリン、ニコライ・ルガンスキーのピアノでどうぞ。ではまた。
]]>横浜院長の柏です。やること山のようにありまして(^_^;一ヶ月ほど足踏みしてしまいましたが、このブログも今回をもって記念すべき400回目を迎えることができました。足掛け12年と8ヶ月になりますが、ご愛読いただき誠にありがとうございます。改めまして感謝申し上げます。
今回、この記念すべきNo.400にて皆様にご報告がございます。この週末、12月3日4日と私は岡山市で行われました第9回成人発達障害支援学会に出席してまいりました。岡山県立精神医療センターの來住会長の熱いパッションが冴え渡る大会した。帰りには以前から懇意にさせていただいている岡山市内のHIKARI CLINIC・遠迫憲英先生のデザイナーズクリニックを見学と、充実した2日間を過ごすことができました。
第1回からすべて出席させていただいているこの学会ですが、来年は記念すべき第10回大会となります。会場にて公式に発表させていただきましたが、次回大会を私が会長、川崎市(向ヶ丘遊園)のきしろメンタルクリニック・木代眞樹先生が副会長というコンビで、横浜にて開催させていただくこととなりました!日時、会場は下記の通りです。
日時:2023年10月21日(土)22日(日)
場所:横浜ワールドポーターズ イベントホール
ご存知の通り、ワールドポーターズはみなとみらい駅と馬車道駅からそれぞれ徒歩5分、かつてポケモンGOのイベント会場(この時ですね)となった公園をはさんで海という横浜の中でも横浜らしいロケーションにあります。
まだ本部が立ち上がったばかりでして、企画などはこれからじっくりと作っていくことになります。岡山では地元支援者の皆さんが集まる機会を上手に作っておられましたので、横浜でもぜひそういう機会を設けたいと思っております。まだまだ立ち上がったばかりで内容はこれから決めていく段階ですが、横浜・神奈川の、そして全国の、大人の発達障害の支援に関わる多くの方々をつなぐ会になればと、重責を感じております。よろしくお願いいたします。
今日の一曲、400回記念ではあるのですが、12月6日に亡くなられたわれらが特撮・アニメソングの帝王、水木一郎アニキを偲んで、アニキがライブで仮面ライダーXの主題歌「セタップ!仮面ライダーX」を歌い上げるこの動画にしましょう。私の青春時代はいつも彼の歌で彩られていました。しみじみしてしまうなぁ...。ではまた。
さて、身体的にはなんの病気もないのに体調が悪くなることは、実はよくあります。こころとからだは表裏一体の関係にあり、神経系と免疫系、内分泌系などとの深い関わりも解明されつつあります。腰痛はありふれた疾患ですが、椎間板ヘルニアや脊椎間狭窄症など、はっきり原因が特定できるものは数割にとどまっているとか。ほかは整形外科的には原因不明でして、その中には心理的要素が深く関わっているものも多く含まれているようです。病院によっては、腰痛外来に精神科医が常駐しているところもあるやに聞いたこともあるくらいですね。
「心療内科」という言葉があります。この言葉は現状、複数の意味合いで使われています。狭義の定義、本来の心療内科は、ストレスが身体に引き起こしている疾患、すなわち心身症を扱う科でして、喘息や過敏性腸症候群などを中心に、しかし生活習慣病などまで幅広く病気を扱いますが、あくまでも「内科」です。実は当院も「心療内科」を名乗っておりますが、こちらは実は広義の定義でいうところの心療内科となりまして、その実態は精神科です(当然ながら、私は内科医ではなくて精神科医です)。このあたりは私個人ではなく法人の方針なので、ご了解くださいね。
心身症はあくまでも身体疾患が実際に存在し、それに心理的要因が大きく関わっているものを言いますが、実際には身体疾患が存在しないのに身体に不調をきたすものがあり、これはDSM-5では身体症状症(DSM-IVまでは身体表現性障害)と呼ばれます。そのうち、動きや感覚、すなわち神経の働きと直接関係するところに障害が生じるものは変換症(DSM-IVまでは転換性障害)と呼ばれます。突然歩けなくなる、麻痺が生じる、震える、てんかんのような発作が起きるといったものから、目が見えなくなる、感覚が鈍くなるものまで様々な症状が生じますが、これも神経伝達自体は正常で、心理的要因によるものがそう呼ばれます。DSM-IVでは、痛みの形で現れる疼痛性障害という項目があったのですが、DSM-5では身体症状症の中の一カテゴリーに格下げ?されています。
ここで注意しないといけないのは、では身体症状症や変換症などは心理的要因があるというならば、それは気持ちの問題であって根性が足りないとか、または症状を捏造しているのではないか、と誤解される可能性がある、いや実際されていることです。
身体症状症/変換症に関しては、本人は病気を偽る意志はなく、本人自身が起きている症状に翻弄され、困っているのが実態です。周囲からみると都合がいい時に症状が出る(それで結果的にいやな仕事をパスするなど)ということもありえますが、詐病との違いは本人がそれを意識していないという点なのです。そもそもストレス反応は複雑な神経・免疫系などのメカニズムの上に成り立っており、そこまで考えると身体に問題がまったくないとは言えません。疼痛性障害を中心に、このあたりの症候群には抗うつ薬が効くケースもありますし、ストレスに対する身体反応の一つの形とも捉えうるのです。筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)や線維筋痛症といった疾患についても、原因はまだわかっておりませんが、脳内の免疫系の変化や炎症などの関与がしめされつつあります。
ちょっと話がそれましたが、変換症(体が動かないなど)や身体症状症(体のどこかに不調感があるなど)は、意識的に(わざと)やっているのではなく、心理的要因が無意識レベルに作用して症状を引き起こしていますのです。それに対して、意識的に(わざと)やっている場合も当然あるわけでして、それが作為症と詐病です。以下、この2つの区別についてお話します。
作為症は、DSM-Ⅳまでは虚偽性障害と呼ばれていたもので、ミュンヒハウゼン症候群とも呼ばれます。ほらふき男爵として有名であったミュンヒハウゼン伯爵の名を冠したこの障害は、自分が病気であるように演じる、病者のふりをするのがその特徴です。病気であることによって周囲の関心をひく、同情を集める、などがその背景にあると考えられますが、基本的に「病気であること」そのものが目的となっているのが作為症です。変換症とは異なり、本人はわざとやっていることを理解しています。中には「代理ミュンヒハウゼン症候群」と呼ばれる、自分に親しい別の人間が病気であることを目的とするものもあります。その多くは自分の子どもを病気に仕立て上げます。子どもに毒となるものをのませたり、入院したらこっそり点滴を止めたり毒物を追加したりします。こうなるともう立派な虐待行為と言えますね。
最後は詐病です。作為症が病気であることそのものを目的とするのに対して、詐病の場合は立派な外因があります。外因とは、兵役から逃れるため、仕事から逃れるため、補償金を得るため、刑事訴追から逃れるため、薬物を手に入れるため、などです。そういえば某隣国では予備役を逃れるためにわざと腕の骨を骨折させる、などという話もありましたね(これは詐病というよりは作られた外傷ということですが)。法医学的状況での受診、その者の主張するストレスまたは能力障害と客観的所見に著しい差異がある、診断評価への非協力、処方された治療処置を守らない、反社会的パーソナリティなどが存在する場合には、治療者は詐病の可能性を考えておく必要があります。
まとめますと、「足が立たず動けない」という人が来た場合、整形外科的・神経内科的に異常が認められないとすると、
・無意識レベルでの心理的要因による:変換症
・病気であることが目的:作為症
・保険金が下りることが目的:詐病
ということになります。実際には、なかなか鑑別が難しいこともありますね。
先週は、天気がいいので久々に鎌倉の山を登り、やぐら巡りをして来ました。北鎌倉駅で下車し、建長寺の裏山の長い石段を登り(日頃の運動不足で、息が切れて途中もう無理かと思いました...)、百八やぐらと呼ばれる無数のやぐら群に到達。その後は市街地方面へ南下し、鎌倉殿ファンとしてミーハーに源頼朝、北条義時の墓所を詣でて鎌倉駅へ出る徒歩約2時間のルートでした。ここのところ心地よい青天が続きます。皆さんもぜひ、自然にふれる機会を作ってみてください。
今日の一曲は、私の大好きな大塚博堂の一曲「旅でもしようか」です。小学校の頃かな、NHKで18:59か19:59か(うろ覚え)からの1分CMでもかかっていた記憶がある方もあるのでは。皆さんも小さな旅に出ましょう!ではまた。
横浜院長の柏です。ASDとADHDの類似点について書いているはずが、さて謎のタイトルですね(笑)。30年以上Apple信者の私、当然ながらスマホはiPhone。ここまで3GS, 5, 6s, XSと買い替えてきました。そのペースですと次はiPhone12だったのですが、XSで困りごとがないことから12も13も見送り、今年の14Proを狙っていました。しかし、バタバタしているうちに発売日を見逃し、気づいたら納期1ヶ月とかなっており(汗)、萎えて15待ちになっているのが現状です。まあXSまだまだ元気ですし、困ってないからいいんですけどねぇ。
さて、今日はこのスマホの性能をキーワードにASDとADHDの類似点についてまとめるという荒業を繰り出しますが(^_^;、その前に以前のブログでお話したASDとADHDの脳の特徴についてもう一度まとめておきましょう。
ASDについては、No.341でお話しました。大きな脳:「刈り込み」が遅れるがために定型発達者と比べて必要以上に多くの配線が残ります。定型発達者では、胎生期、そして生後数年の間に外界からインプットされる情報に応じて神経回路の刈り込みが行われ、必要な回路が残り、必要度の低い回路は淘汰されます。母親の視線をキャッチしたのちは、母親をはじめとする他者の認知行動パターンをインプットし、それを基準に必要な回路が残されていきます。それに対しASDの場合、生まれた時点で大きな脳〜定型よりも多い配線を有しており、圧倒的な情報量が脳に流れ込みます。この情報の洪水に流されて母親の視線に気づき損ねるわけですが、その後も刈り込みの遅れもあって、その圧倒的な情報量が脳に流れ込む状態がデフォルト...それがASDの本質と考えます。
一方のADHDについては、No.343でお話しました。こちらは逆で、小さい頃には大脳皮質、皮質下領域ともに容積が小さいというデータがあります。ADHDの障害に関しては、ワーキングメモリの障害(容量が小さい)が知られています。ワーキングメモリとは目の前の情報を処理するための作業机のようなものです。その机が狭いために本や資料を十分広げられず、効率的に作業ができない状態が、ADHDにおける困りごとの本質と言えます。まあ、このことと上述の容積の小ささとの関連はわかりませんが、いずれにせよ定型発達者と比べた場合、脳の特徴はASDとはむしろ逆の方向を向いています。
まとめますと、ASDでは外界からの情報がうまくフィルタリングされず全部入ってくるためにオーバーフローを起こす状態、一方のADHDでは情報のフィルタリングは問題ないが、ワーキングメモリが小さいためにその情報がオーバーフローしてしまう状態です。メカニズムは違うが、両者に共通するのは情報処理過程においてその情報がオーバーフローしてしまう点にあります。ASDでは社会コミュニケーション障害とこだわり、かたやADHDでは注意障害と多動衝動性、とメインの症状は異なりますが、現実にはASDとADHDの区別をつけるのが難しい、あるいは併発が指摘されるのはこうした「情報のオーバーフロー」という共通点があるから、という点もあるのではないかと考えました。
では今回のタイトル、スマホの性能、という点からもう少しわかりやすく説明しましょう。毎年新機種が発売されるiPhone。どんどん性能が上がっていきますが、おもにCPUの性能(頭の良さ)、メモリの容量(ワーキングメモリ)、カメラの画素数(外界からの情報)の3つが大きいところでしょう。外界からの情報ではマイク・スピーカーの性能やwifiの速度なども関係しますが、ここでは単純化してカメラにて説明します。Zoomで会議をしている状況を思い浮かべてください。では、これらを発達障害、知的障害に当てはめて考えてみましょう。この議論は極端に簡略化していることを了解の上でお読みください。人間の場合、外界からの情報は五感から来ますし、さらには過去の記憶の読み取りも行われます(ハードディスクの読み取り)が、ここは簡略化して画素数を入力情報として話を進めます。
ここで、新旧iPhoneのスペックを並べてみましょう。ここではASDとADHDの比較のため、メモリ容量と画素数のみを表記します。
ここで、6年前発売のiPhone7を基準に考えてみましょう。この機種は、そのまた7年前に発売となったiPhone3Gと比べると、画素数で4倍、メモリは8倍にそれぞれ拡張されています。
ここで、メモリだけをiPhone3Gのものと取り替えてみましょう。これまでと同じ作業を、8分の1の大きさしかない机でやりなさいと言われているのと同じですね。カメラが捉えた動画がカクカクとなるのは想像しやすいと思いますが、これをメモリ不足=ADHDのモデルと考えます。
次に、iPhone7のカメラだけを、iPhone14のものと取り替えてみましょう。
今度は、机の広さは変わらないが、ドサッと前の4倍の資料を渡されて机の上においた状態ですね。同じメモリに4倍画素の動画を送りつけられたらこちらもカクカクしますよね。こちらは画素過剰=ASDのモデルと考えます。
このように、メカニズムは全然違うけれども、画素数>メモリという不均等がASDとADHDに共通する特徴であり、これが両者の類似性を生んでいるのではないか、というのが本日の仮説提起です。なお、これは決してASDが優れているとか、ADHDが劣っているとかいうことではないことにご注意ください。脳に限らず人間の体はいろいろなパーツの構成体となっており、それぞれのパーツの性能は高すぎても低すぎてもうまくいきません。全体としての調和が一番とれた状態が最高のパフォーマンスを提供できます。発達障害の診療も、それぞれの方々の発達凸凹の有り様に各自が思い至り、よりバランスが取りやすい認知行動パターンを身につけていくことがその目指すところなのです。
今日の一曲は、シューベルトの交響曲第7番ロ短調「未完成」です。昔は「運命・未完成」とセットで呼ばれ、ベートーヴェンの第5とともに交響曲の代表作として不動の地位を占めていたのですが、今はあまりそうは言われないかな。さらには、かつてはこちらが第8番で、「ザ・グレイト」とも呼ばれるハ長調交響曲が第9番(つまり7番は欠番)だったのですが、いつの間にか未完成は7番に、ハ長調が8番になっていますね。私はまだ8番の印象が強いんですよね...。今回は、カラヤン指揮ベルリン・フィル1979年の東京公演のライブ演奏でどうぞ。やはり定番曲はカラヤンでないとね。ではまた。
今回は、症候学の観点から分析してみましょう。症状を丹念に見ていく方法論です。ご存知のように、DSM-5が定義する主要な症状はASDでは社会コミュニケーション障害とイマジネーションの障害、そして感覚過敏であり、ADHDでは注意障害と多動衝動性です。診断基準を一見するとまるで異なる症状が並んでいますし、典型的なケースでは外から見た様子(佇まい)がまるで異なる、真逆といってもよいくらいの違いがあります。しかし、実際の臨床現場ではなかなか鑑別が難しい場合も多いのです。これは、ASDなのに一見ADHDのような症状を示す、逆にADHDなのに一見ASDのような症状を示すことがしばしばあることがその理由と考えられます。目の前に現れる症状の背景をさらに掘り下げると、実は別の特性由来であることがあります。まとめるとこんな感じになります。
各特性について、本来のASD, ADHDに由来するものは色付きで、本来とは逆の特性に由来するものは色なしで表示しました。一見ASD由来の社会コミュニケーション障害に見えても、実は注意をフォーカスすることが困難で相手の話をしっかり把握できないとか、衝動性の高さからすぐ相手の話を遮ってしまうことなどが原因のこともあるわけです。こだわり、融通が利かない、といったASD特性については、「過集中」という言葉が両者の関係性におけるキーワードと感じています。この「過集中」はASDでもADHDでもどちらでも見られるのですが、それぞれ意味合いが違います。ASDでは狭い興味関心の幅の中(スイートスポット)のものに過集中。なので、同じ対象に長く集中し続けることになります。電車のことばかり話してる電車オタク系ASDの方を想像するとイメージしやすいでしょうか。「今ここ」に生きるADHDではその特性として視野が狭いため、少しでも興味あるものがたまたまその視野に入ったところにロックオンがかかります。しかしこちらはもっと刹那的で、しばらくして飽きるとターゲットが別の対象に移ります。
一方で不注意についても、一般的にはADHD由来と思われがちですが、ASD特性から興味がないものには関心も注意も向けられず、結果的に不注意となってしまうこともあるわけです。同様に多動衝動性に見えるものも、狭い興味関心の幅の中(スイートスポット)にハマったものに対しては何も考えずに飛びつく傾向があるため、一見多動衝動性に見えることもあると思われます。
誤診を避けるためにも、そして安易にASDとADHDの併発を乱発しないためにも、精神科医には困りごとがどこから来ているかをしっかり聞き出し分析することが求められますし、当事者も自らの分析をぜひ行ってほしいと思います。
実は、このASDとADHDが似て見えることについてもう一つ新たなアイディアがあるのですが、これは次回ご紹介することとしましょう。
では今日の一曲。今日もショパンの気分なので連続ですがショパンで。幻想ポロネーズ変イ長調作品61を、昨年のショパンコンクールでの小林愛実の演奏でどうぞ。ではまた。
アモキサピンは改良型の三環系抗うつ薬(4つ目の亀の子も見えますが、基本骨格の部分が三環なので三環系となります)でして、合成されたのが1963年とのことなので私と同い年のようです。わが国では1981年に発売されています。この薬は三環系の紹介のときにも取り上げようか迷って数のこともありあきらめたのですが、抗うつ薬としては非常に有用性の高い薬でして、私は現在でも相当数の患者さんに処方継続中です。三環系の中でもちょっと毛色の変わった効き方をする薬で、抗精神病薬と似たドーパミンD2受容体遮断作用も持っていることが特徴とされますが、かといって私自身はこの薬を統合失調症のうつ状態や妄想性うつ病に積極的に使ったわけではありません。私にとってアモキサピンは「速効性があり、しっかりした抗うつ作用(とくに賦活作用)を持つ抗うつ薬」といった位置づけでして、三環系では以前ご紹介したノリトレン、ルジオミールと並んで切り札的な存在です。三環系である以上、口渇や便秘といった副作用はありますが、副作用が目立たない人には福音ともなりうる薬です。また、意外と不安障害圏の方にも効果が高く、全般性不安障害やパニック障害などでこの薬に助けられている方もあります。先のブログでも引用した「抗うつ薬の選び方と用い方、渡辺昌祐・横山茂生、新興医学出版社」にはこうあります。
アモキサピン:精神運動抑制や抑うつ気分などの抗うつ作用、賦活作用は強く、二重盲検比較試験においても、抑制症状に最大の効果があり、反面、不安、緊張、自殺念慮などにもイミプラミンよりも効果があったと記載されている。有効率も80%とイミプラミンの64.9%より優れており、また抗うつ効果の速効性、自殺念慮に対しても速効性があるとの報告もある。
ストールのPrescriber's Guideによると、アモキサピンの作用は
とあります。薬理作用としてはN>SのSNRIであり、最強の新規抗うつ薬であるサインバルタ®と似たプロファイルでしょうか。同じSNRIのイフェクサー®が低濃度でセロトニンを、高濃度でノルアドレナリンを増やすのとは逆ですが、抑制症状への効果、賦活というのはやはりノルアドレナリンが関わるところでしょうから、これは「しっかり元気にするくすり」という私の感触と一致します。私もよく使いますが、ベテランの先生には結構ファンがいて、私がお世話になった某K元教授もよく処方されていましたっけ。
このような重要なくすりなのですが、先の通知によると「発がん性のリスクがあるとされるニトロソアミン類を含有していることが判明致しました」とのことでした。「リスクがある」にさらに「とされる」までついており、なんとも曖昧な表現ですね。ニトロソアミンはハムやソーセージなどにも含まれており、そのことでそのあたりの加工食品に注意喚起されることはありますが、といってハムもソーセージも市場から消えているわけではありません。アモキサン®(ここからは商品名で記載します)は、最近では初診からいきなり出すことはないわけではないですが少なく、実際はSSRI, SNRIなどの新規抗うつ薬を十分量使って効果が不十分なケースに使っている方が多いわけです。効果不十分であれば副作用もあるし漫然と出すことはまずない薬ですから、現在処方されている方はほかの抗うつ薬で十分な効果が得られず、アモキサンでようやく症状が落ち着いた方が実際多いと思います。なので、ここで突然アモキサンが市場から消えるのは、当該患者さんにとっては由々しき問題です。アモキサンにはジェネリックがなく、ファイザーに問題回避のために何らかの手を打っていただけないと、このままアモキサンが永遠になくなってしまう、という考えたくもない事態となってしまいます。実は抗精神病薬のピーゼットシー®(トリラホン®、ペルフェナジン)も現在同様の事態となっていて、こちらも困っている次第です。
製薬会社各社は、薬というものはそれを使うことでようやく健康を保っている患者さんがたくさんいることを考え、市場主義の見地のみに立たずに物事をご判断いただきたいと強く願いたいです。
現在アモキサンを服用中の方におかれましては「発がん性のリスクがあるとされるニトロソアミン類を含有している」がために直ちにやめなくてはいけない、とは私は考えません(ハムを食べながらこちらをやめる意味はない)。市場から消える段階となってきたら、他の抗うつ薬(三環系中心ですが、それ以外も含めて代替案を各自考えますのでご心配なくです)への変更を行いましょう。それでもアモキサン服用がご心配でしたら早めの変更を行いますのでお知らせ下さいね。
今日の一曲は、ショパンのワルツ嬰ハ短調作品64-2をキーシンのピアノでどうぞ。この嬰ハ短調という調号がいいんだよねぇ。。。ではまた。
体温といえば、通常の体温は36℃台とされ、ウイルスなどで炎症が起きると37℃を超えます。一方で、これは来院中の方にも多いですが、平熱が35℃台というかたも一部いらっしゃいます。36℃台が、酵素の働きをはじめ身体の機能にとって最適な環境であることもあり、35℃台ではどうしても機能的に十分でないところがあり、なかなか起きられない、元気がない方が多い印象です。
体温や血圧などは数値で出ますのでわかりやすいですが、人間の精神活動、たとえば知性、感情、意志なども通常は一定の範囲内にありますが、これらも不調になると高すぎたり低すぎたりという状況が生まれます。かつてドイツの天才精神医学者エミール・クレペリンは双極性障害における気分変動をより詳細に分析し、さきの「知性、感情、意志」(Intellect/Emotion/Volition)それぞれのゆらぎがあるものとしました。図参照(出典:J Affect Disord 137:15, 2012)
双極性障害でなくとも、誰でもその日その時の調子によって、頭の働きがよかったり悪かったり、気分が安定していたり揺れやすかったりするものですよね。それぞれ、通常は脳の中にサーモスタットみたいな機能があって、一定の範囲内に保たれるように自己調節されているのです。双極性障害では、このサーモスタットがはずれて躁状態、うつ状態という気分の極端な状態が持続します。この場合、気分の変化は定義上はうつ状態が2週間以上、躁状態は1週間以上といずれもそこそこ長く続く必要があります。これは気分の「値」そのものが大きく変化することを指していますが、実際にはもう一つ別の病態があります。それは、些細な刺激で気分が大きく変動する、すなわち「気分のゆらぎが大きい」状態です。些細なことですぐ怒る、すぐ絶望する、すぐ爆笑する...刺激反応性が高まった状態です。こうした過剰反応でも、時間軸でみてすぐに収まってしまえば双極性障害の定義は満たさないわけです。こうした状態を、近年は情動調節障害(Emotional Dysregulation; ED)あるいは感情調節障害(Affective Dysregulation; AD)と呼び、研究者の注目が集まっています。
どうもADHDの研究者はEDという用語を、複雑性PTSDの研究者はADという用語をそれぞれ用いるようですが、基本的にはほぼ同一の概念と考えて問題はないと思います。そういえばemotionとaffectionの違いについては大昔にNo.042でまとめていましたね。ここにも「"emotional disorder"は自閉圏のお子さんについて使うことが多い」とありましたね。ADHDがこちらを使うのはそうした流れがあるのかな。
さて、ここから情動調節障害(Emotional Dysregulation; ED)についてまとめていきます。ADも同じ概念としましょう。EDはADHDの診断基準(DSM-5など)には入っていませんが、一部のADHD研究者には重要な概念として捉えられています。Paul H WenderはWender-Utah基準という独自の診断基準にてこれを取り上げています。これは「調節がうまくいかず、受け入れられる情動反応の範囲に収まらない情動反応」とし、ADHDのみならずASD(自閉スペクトラム症)、境界性パーソナリティ障害、双極性障害や複雑性PTSDなどでみられるとしています。なんとなく「ゆらぎ」がキーワードとなるような疾患群でこれが見られることがイメージできるでしょうか(なお個人的には、ASDだけは他と毛色が違ってみえます。ASDでは、予想外、予定外の事態に直面した場合、という限定された状況にてEDが生じる点が、なんであれ気持ちのぶれを生じやすい他の疾患とは一線を画しているように感じます。)。
EDを図解したものがこれになります。外界から何らかの刺激が加わると、一定の情動反応(喜怒哀楽など)が生じます。通常、サーモスタットが働いてこの情動反応は一定の範囲内に収まっており、対人関係においても相手がどれくらいの反応をするか、というのは通常はある程度予想が立ちます。しかし、EDの状態ではそのサーモスタットがうまく働かず、情動反応が極端に大きくなります。相手からすると、なんでこんなことでそんなに怒るの?大泣きするの?と訝しむこととなるわけです。
図にありますが、逆に情動反応に極端に乏しいものはEmotional Bluntingと呼ばれ、気分障害の領域で一部注目されているようです。"Blunting"とは鈍麻とか鈍化とか、「にぶい」イメージの英単語です。しかし「感情鈍麻」という用語が昔から統合失調症領域で使われており、これは同病におけるブロイラーの基底症状のひとつでもあり、ちょっと意味合いが違います。そのため、なかなか適切な訳語がなく「エモーショナルブランディング」と呼ばれるのが通常です。
ADHD業界で、EDが一部の研究者でのみ受け入れられている主な理由は、上述のように他の疾患でも広く見られることから特異性が低い(診断の根拠となりにくい)ことがあると思います。しかし、現実にはEDのために結果的にセルフコントロールができなくなったり(このあたりはどちらが卵でニワトリなのか難しいところですが)周囲との関係性が悪化したりすることが多く、臨床的には私は大変重要な概念だと考えています。
そもそもADHDは、上述のASD、境界性パーソナリティ障害、双極性障害や複雑性PTSDと鑑別が難しいことがあり、また重複することもあるという複雑な関係にあります。EDを切り口とすることにより、診断や治療の方向性をつける一助となると考えています。
今日の一曲は、ヴァシリー・カリンニコフのピアノ小品「エレジー」です。カリンニコフはラフマニノフより7歳年上のロシアの作曲家ですが、結核のため34歳で早逝しており、あまり世に知られていない作曲家です。しかし、数は少ないものの交響曲第1番をはじめとする美しい作品が遺されています。ではそのカリンニコフのエレジーを、今日はウラジミール・トロップのピアノでどうぞ。ではまた。
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私からは前回のブログでお話した通り、発達障害の診断は丹念に困りごとの背景にある症状・特性を聞き取っていき、幼少からの様子を詳しく親や通信簿などの第三者情報を含めて聞き取っていくことから診断基準にあてはめていくという、きわめて地味な作業の積み重ねであり、数ヶ月程度は時間がかかりうること、また発達障害の治療とは長年にわたって当事者と寄り添いつつ、特性の長所を活かし、短所をカバーしていく方法論を探っていくという、これまた地味な作業の積み重ねであることを主にお話しました。パパッと機械で診断がつき、パパッと機械で治療ができるならそれはそれは素晴らしいことですが、発達障害の診断や治療とはなんぞや?という根源的なことから考えていくと、それって一体何をやっているのか、ちょっと私にはよくわからないのです。
脳科学者の井手先生からは、脳波やMRIなどの臨床応用される脳検査について基礎的なところからわかりやすい説明がありました。現在までの研究の実際を鑑み、現時点ではまだそうした脳機能検査で発達障害を「診断」できる水準にはないであろうという、そういうお話だったと思います。
ニューロダイバーシティの伝道師(失礼(^_^;)こと村中先生からは、神経多様性の中に位置づけられるようになってきた「発達障害」について、その「診断」や「治療」の意味について問い直す、そんなお話だったかと感じました。うんうんと頷きながら聞いておりました。宇宙人、とされる発達障害者に対して、地球人(定型発達者)だって宇宙人なんだ、というお話がなかなか印象的でした。
「スペース」は覗き見したことはあるのですが、喋る側での参加は初めてでしたので、あわててブルートゥースヘッドセットをAmazonで当日朝にポチって参加しました(^_^;。村中先生の予告ツイートに予想よりはるかに多いリツイートといいねがついていたので緊張しまくりだったのですが(汗)、当日はお二人の先生方のお人柄もあり、落ち着いて会話を楽しむことができました。
今回の件ではマスコミからもいろいろ取材を受けています。まずはAERA.dotに記事が載っていますので、こちらもぜひお読みいただければと存じます。
木下優樹菜さん「脳波でADHDが分かった」発言で物議 医師らは全否定 AERAオンライン限定 2022/08/11 11:30
ここで、今回ご一緒させていただいた先生方の著作を紹介させて下さい。村中先生は、「ニューロダイバーシティの教科書: 多様性尊重社会へのキーワード」
「〈叱る依存〉がとまらない」
村中先生の当事者をみる温かい目が印象的な二冊です。井出先生は、なんとこの12日に上梓される
「科学から理解する 自閉スペクトラム症の感覚世界」
これは楽しみですね。私も予約済みです!
最後に今日の一曲のコーナー。このコーナーも長くなってきましたが、まだまだ一度もかけていない名曲がたくさんあります。今回は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調作品30です。先日行われた、クライバーン国際ピアノコンクール2022ファイナル、優勝者の韓国出身18歳の新鋭、ユンチャム・イムのライブ演奏でどうぞ。ではまた。
著名人が自らの発達障害なり精神障害なりを告白することは、特性や病気への偏見を減らし、世間の理解を深める可能性があることから意義があることだと思います。イーロン・マスクがASDを告白したり、ゆうこす氏が精神科通院を告白したのは記憶に新しいところです。ただ、今回一番の問題は、木下さんがYouTube内で語っている診断の仕方にあります。とあるクリニック名の入った資料を出し、そこには脳波検査だという色つきの図が出てきて、彼女の説明によると脳のここが働いていないとかなんとか...。なんか、もっともらしい検査結果とか出てくると、専門でない方にとってはそれは素晴らしい客観的な検査結果に見えてしまうのでしょう。しかし、実のところ脳波検査で発達障害の診断ができる、ということは世界中のどこの診断ガイドラインにも書いてありませんし、どこの学会もそういった表明はしておりません。
QEEGなどというとなんだか最先端の検査みたいに聞こえてしまいますが、通常の脳波を図面上に落として色付けするだけのことで、特別な検査でもなんでもありません。PubMed(世界的な医学論文データベース)で調べると、ADHDやASDで脳波を使った研究は多数行われていることがわかります。しかし、いずれもあくまでも研究レベルです。実際に臨床検査として診断のために使われるためには、十分な検証をへて最終的には厚生労働省のお墨付きが必要ですが、とてもその域には達しておりません。脳波検査は脳機能を調べるための大切な検査ですが、臨床場面で使われるのはてんかんなどの発作性疾患の鑑別、器質性脳疾患や脳機能低下の評価、睡眠の評価などに限られます。発達障害でも脳波検査を行うことはありますが、それはてんかん(とくに自閉症では合併率が高い)や器質性能疾患を除外するために行うのであって、発達障害そのものの診断や評価のためではありません。
大人の発達障害の診断は、それは地道な作業です。われわれは、アメリカ精神医学会の診断基準DSM-5に則って診断を行いますが、ASD, ADHDとも特徴的な症状が必要数満たされており、それぞれ発達早期に、そして12歳以前から、存在することが求められます。このため、本人からの丹念な聞き取りとともに第三者情報、本人の幼少期を知る親兄弟からの聞き取り(どうしても難しい場合はパートナーや友達、同僚や上司など)、通信簿や母子手帳、小さい頃の記録などの客観的情報を可能な限り集めることが求められます。なので、「当日診断可能」ということは、よほど典型的に症状がそろった方が親同伴で来院された場合などに限られます。こうした聞き取りと並行して行うのが心理検査です。当院では、基本的にASDにはAQ-Jを、ADHDでは自記式CAARSを基本検査として行い、複雑検査としてはWAIS-IVを採用しています。WAISとは基本的には知能検査でして、得られる最終結果はご存知IQです。発達障害の場合、下位項目から特性のために苦手となっている領域を知るために行うので、これは診断のためというよりは支援の方向性を探るために行います。ずいぶん前にNo.096でも書きましたが、よく発達障害の検査=WAISという誤解があり、WAISを希望して来院される方がありますが、WAISで診断はできませんのでご注意ください。
さらに問題なのは、その医療機関では上記方法で発達障害と「診断」した方に対して、その「治療」のためにrTMS (repetitive Transcranial Magnetic Stimulation;反復経頭蓋磁気刺激療法)を勧めてくるようです(同院を受診してこれを勧められ、高額なので断ったら「じゃあすることないね」と言われた、と当院に来られた方がありました)。rTMSはわれらが神奈川県立精神医療センターなどでがっつりやっている新しい治療法で、パルス磁場による誘導電流で特定部位の神経細胞を繰り返し刺激して、うつ病によるうつ症状を改善させる治療法です。現在、特定の条件を満たした医療機関でのみですが、うつ病に対しては保険適応もなされている正当な治療法です。これまでうつ病に対する非薬物・生物学的治療法としては修正型電気けいれん療法(mECT)がほぼ唯一効果が実証されたものであり、私も前職の東京医科歯科大学では日常的に難治うつ病の方に行っていました。mECTは高い効果がありますが、脳に電極から100Vの電流を流すという方法のため、入院して中央手術部にて全身麻酔下に行う(通常週に2−3回、計12回を目安に行います)なかなか手のかかる治療法です。rTMSは電流のかわりに磁場を用いることで、同様の効果をより簡便に得ることが期待されます(個人的にはmECTには及ばないが一定の効果は期待できると思います)。うつ病に対する保険適応の基準が厳しいことから、保険外でrTMSを行うクリニックも多くなってきていますが、玉石混交、なかにはプロトコルも怪しくぼったくりと思われるところもありますので注意が必要です。
アメリカFDAはうつ病に加えて強迫性障害についてもrTMSを認可していますが、発達障害を含めたそれ以外の疾患についてはまだ研究段階であり、世界中でそれを認可している国はないと思われます。昭和大学では右側頭頭頂接合部(rTPJ)に磁気刺激を与えることでASDにおける社会的行動の改善を示唆するデータを得ているなど、部位と刺激方法を工夫することで将来的には発達障害の領域においてもrTMSは治療法としての地位を確立する可能性は十分にあると思います。しかし、現時点ではrTMSがASDやADHDの主要症状を改善させるという十分なエビデンスはありません。なので、現時点でASDなりADHDといった発達障害の治療法としてrTMSが提案されるということは、まともな精神科医療機関であればありえないと考えてください。
今日のまとめです。
・発達障害は脳波(QEEGも同じ)では診断できない。
・発達障害がrTMSで治るという証拠は現時点ではない。
そういうことを謳っている医療機関があるとすれば、それは疑ってかかったほうがよいです。自費で高額であればなおのことです。皆様お気をつけください。がん治療もそうですが、標準的で現時点で効果が期待できることが証明されている治療法は保険適応となります。自費診療については正しい情報を集め、費用対効果をよく考えることを忘れないでください。
あと、これもつけておきましょう。
・WAISは支援のための検査で、発達障害の診断はこれではできない。
では今日の一曲。かのタイムボカンシリーズ史上に残る名曲、逆転イッパツマンから「嗚呼、逆転王・三冠王」です。No.193ではなぜか見つけそこねたんですが今回見つけました。山本正之の浪花節ロックをお楽しみください。ではまた。
マプロチリン:セロトニン再取り込み抑制作用は弱く、ノルアドレナリンの選択的強化剤といえよう。鎮静−精神安定−抗不穏効果を示す。臨床効果の面では、抑うつ気分と抑制症状の改善、意欲亢進、不安除去、各種の身体症状の改善など幅広いスペクトラムを持つことが特徴。うつ病治療の第一選択剤として適しているように思われる。
なかなか高評価ですが、私にとってもマプロチリンは切り札の一つです。前回のノルトリプチリン(ノリトレン®)同様、セロトニンよりもノルアドレナリンを賦活する力が強く、意欲低下・意志発動性の低下といったエネルギーが低下したうつ病の中核群に有効です。前回のKielholzの模式図もご参照ください。新規抗うつ薬のある今では第一選択剤とは言えませんが、他剤でなかなか持ち上がってこないときには有効な選択肢です。けいれん閾値を下げるので、てんかん発作のある方、既往のある方には禁忌となるので注意が必要です。
続いてミアンセリン(テトラミド®)。
ミアンセリン:モノアミン再取り込み抑制ではなく、シナプス前α-ノルアドレナリン受容体阻害によるノルアドレナリン放出促進による。最終全般改善度はイミプラミンと同等であるが、50-59歳の患者や外来患者、退行期うつ病、中等度抑うつ状態などの項目で本剤が優れている。速効性。
新規抗うつ薬でミルタザピン(レメロン®、リフレックス®)というのがあります。SNRIと組み合わせるとカリフォルニア・ロケット燃料とかいわれ、強力な抗うつ効果を示すとされる薬ですが、ミルタザピン単剤では抗不安・鎮静効果が高く、不安焦燥の高いうつ病の方では第一選択、一方でしっかりした抗うつ効果もあるのでうつ病圏で幅広く使われます。主作用はシナプス前α2ノルアドレナリン受容体拮抗作用によりセロトニンおよびノルアドレナリン両方の神経伝達を増強することによるものとされます。一方で抗ヒスタミン作用も強く、眠気につながりやすいのが欠点ですが、不眠の改善を目的とする場合もあります。このミルタザピンは実はミアンセリンの誘導体でして、図のようにミアンセリンの亀の子ひとつのCをNに置換しただけという兄弟化合物です(セチプチリンは後述)。
ミアンセリンも同様の薬理作用を有していますが、経験的には抗うつ作用としてはミルタザピンには劣る印象ですが、うつ病圏の方の不眠や、それ以外でも睡眠薬を使いたくない、増やしたくない神経症性不眠の方に睡眠薬代わりとして使うのによく使っています(保険適応はあくまでもうつ病、うつ状態です)。かつてはリフレックス®15mg錠100円に対してテトラミド®10mg錠12.3円なんでそのあたりも考えて処方することもありましたが、ミルタザピンも後発薬が出て15mgが19.3円(先発品と5倍以上違うってどゆこと!?)なのであまりかわらなくなりましたね。なお、今回ご紹介している4種類の中で、テトラミド®だけが後発薬がありません。なんでなんだろ。
わが国で発売中のもう一つの四環系抗うつ薬がセチプチリン(テシプール®)ですが、発売がさきの本の出版よりあとであり、本には記載がありません。これも先の構造式のとおりで、ミアンセリンの亀の子が重なる部分のNがCに変わっっただけで、ミルタザピンとあわせて三兄弟となる薬です。ただ、なかなか他の2剤に比べて特徴のわかりにくい薬で、個人的にはあまり処方しておりません。
最後に、四環系ではありませんがちょっと特殊な抗うつ薬としてトラゾドン(レスリン®、デジレル®)をご紹介しましょう。
トラゾドン:セロトニン再取り込み阻害作用を持つが、条件回避反応の抑制や痛覚刺激反応を減弱するなど抗精神病薬の特性を持っている。速効性でとくに不安除去作用が強い。鎮静作用が強く、内因性うつ病と神経症性の不安や抑うつの両方に効果があり、また統合失調症性のうつ状態を軽快させるし、精神病症状を悪化させることはない。
と書いてありますが、個人的には抗精神病作用を期待したり、統合失調症性のうつ状態に積極的に使ったりしたことはありません。基本的にこの薬の最大のメリットは不眠の改善と考えており、ミアンセリン同様に睡眠薬を使いたくない、増やしたくない不眠症の方に積極的に処方しています。深く眠れるようになる方も多く、やめる時も離脱の心配ほぼなく中止可能です。この薬も保険適応はうつ病・うつ状態ですが、鎮静・抗不安作用はあっても抗うつ作用はそこまで強くないと思います(たまにはまる人がいますが)。
今日の一曲は、シューベルトの即興曲。以前作品90-2を紹介しましたが、今日は作品90-4変イ長調を、キーシンのライブ演奏でどうぞ。と、書いてから思い出したんだけど、たしかこの曲、ワタクシその昔ピアノの発表会で弾きましたわ。なんと、もう40年以上前ですね...。ではまた。
連載初回にもお話しましたが、定型抗精神病薬であるクロルプロマジンも図のように三環構造を持っており、三環系抗うつ薬であるイミプラミンと極めて構造が近いことがわかりますね。この時代は、こうした構造を基本に薬剤開発が行われてきており、多くの三環系、次いで四環系抗うつ薬が発売されました(表参照)。今回は、三環系抗うつ薬を代表するものとして、イミプラミン(トフラニール®)、クロミプラミン(アナフラニール®)、トリミプラミン(スルモンチール®)、アミトリプチリン(トリプタノール®)、そしてノルトリプチリン(ノリトレン®)の5つを取り上げることにします。
現在の抗うつ薬ですと、SSRIはセロトニン系、SNRIはセロトニン・ノルアドレナリン系、などと(それも根拠十分とは言えませんが)分類しますが、かつて(三環系が主流の頃)は、ひとつの基準として図のKielholz(キールホルツ)の模式図がありました。これは、抗うつ薬の作用を①意欲亢進・抑制除去作用②抑うつ気分改善作用③抗不安・鎮静作用、の3つに分けて、それぞれの抗うつ薬の特徴を表したものです。薬理学的根拠に基づくわけではありませんが、実臨床にあった内容で私は重用していました。定型抗精神病薬の基本となるのがクロルプロマジンとハロペリドールだったように、三環系抗うつ薬の基本となるのはイミプラミンとアミトリプチリンです。Kielholzの図を見ると、イミプラミンは抑うつ気分改善作用が強く、意欲亢進・抑制除去作用と抗不安・鎮静作用は弱いながら存在することがわかります。対してアミトリプチリンは抑うつ気分改善作用と、それよりやや弱い程度の抗不安・鎮静作用を有することがわかります。このため、抑うつ気分の強い定型的なうつ病にはイミプラミン、不安焦燥が強いうつ病にはアミトリプチリン、というのが標準的な治療方策でした。参考までに、当時の参考書の記載を抜粋引用してみます(文献:抗うつ薬の選び方と用い方、渡辺昌祐・横山茂生、新興医学出版社)。
イミプラミン:三環系抗うつ薬の基本型で、抑うつ気分除去、意欲亢進を促すが鎮静作用は少ない。意志や行動の抑制作用の強いうつ病に奏功する。
アミトリプチリン:強力な抗うつ作用と抗不安、鎮静作用を持ち、不安、緊張、焦燥感の強いうつ病には有用である。1980年WHOが選択した必須薬260種類のうち唯一の抗うつ薬(精神科関連薬剤は6種類とのこと)。
Kielholzの図では、横軸は効果の強さを示しており、これによるとイミプラミンに比べるとアミトリプチリンの抑うつ気分改善作用は弱いように見えますが、実際には遜色ないというか、ケースによってはアミトリプチリンの方が強力に抗うつ作用を持つこともあります。アミトリプチリンは、うつ病・うつ状態のほかに末梢性神経障害性疼痛という保険適応も有しています(さらには夜尿症への適応も)。痛みが困りごとの方は精神科領域でも結構いらっしゃいますが、SNRIであるデュロキセチン(サインバルタ)とともに疼痛への効果が期待できる薬です(当院でも著効している人がいます)。
次に兄弟薬として、イミプラミンの弟分であるクロミプラミン(アナフラニール®)とトリミプラミン(スルモンチール®)、アミトリプチリンの弟分であるノルトリプチリン(ノリトレン®)についてお話しておきましょう。こちらも、先の参考書の記載を抜粋します。
クロミプラミン:ノルアドレナリンよりセロトニン取り込み阻害作用が強い。抗不安、抑うつ気分の改善、意欲の促進がみられる。不安、焦燥の強いうつ病から、抑制の強いものまで有効。強迫症状を伴ううつ病に対しては特に有効である。
トリミプラミン:強い抗うつ作用と、レボメプロマジンのような鎮静作用を有するので、激越性うつ病に有効。
ノルトリプチリン:抑うつ感情、意志、思考の抑制に奏功する。
クロミプラミン(アナフラニール®)はKielholzの図ではイミプラミンと区別がつかないのですが、実際はセロトニン作用から、当時は強迫性障害に対して唯一効果が期待できると言ってよい薬でした。現在でも、この薬は強迫性障害ではSSRIが効かない、あるいは使えない場合には重要な選択肢です。また、点滴製剤があるため、重症うつ病で外来フォローが必要な場合には、当院でも点滴を行っています。点滴の効果については、エビデンスが十分とは言えないのですが、(そして点滴という行為そのものの効果も大きいでしょうが)急場をしのぐには有益な薬だと思います。
トリミプラミン(スルモンチール®)は図の通り抗不安・鎮静作用の強い薬で、クリニックでは不安焦燥が強く入院が必要だがすぐに入院できないような場合、個人的には第一選択です。いっとき発売中止になりそうな雰囲気があったのですが、命をつなぐための大事な薬です。販売が塩野義から共和に変わったようですが、絶対に残しておいてほしいと願っています。
ノルトリプチリン(ノリトレン®)は図の通り、意欲亢進・抑制除去作用に優れます。この作用が一番強いのは図でMAO-Iと書いてあるMAO(モノアミン酸化酵素)阻害薬です。かつて日本でも、サフラジン(サフラ®)というMAO-Iが発売されていました。しかしこの薬は食品中のチラミン(チーズ、赤ワイン、チョコレート、漬物などに含まれる)に反応して高血圧を起こすことから現在は発売中止となっています。MAO-Iについてはいろいろ興味深いこともありますので、いずれまた書きましょう。さて、ノルトリプチリン。うつ病の基本症状は抑うつ気分と興味喜びの喪失でして、後者の興味喜びの喪失(あるいは低下)はなかなかやっかいな症状です。本来楽しめることが楽しめない、というなかなかつらい症状ですが、ノルトリプチリンは三環系抗うつ薬の中ではこの部分への効果が期待できる薬です。神経伝達物質でいえばこの薬はセロトニンよりもノルアドレナリンの再取り込み阻害作用が強いことが知られており、そのことがこうした効果と関係しているものと推察されます。
今日の一曲はシューマンです。ピアノソナタ第2番ト短調、この曲はマルタ・アルゲリッチの情熱的な演奏が一番ですね。ではまた。