横浜院長のひとりごと No.238 座間の事件に寄せて

横浜院長の柏です。わが神奈川県内では、昨年のやまゆり園事件に続き、今年は座間で悲しい事件が起きてしまいました。犯罪史上稀に見る事件が、こうして県内で続いたというのは大変残念な思いがします。私の外来でも衝撃を受けている患者さんも多く、テレビを見るのが怖いとおっしゃる方もおられます。No.086でも書きましたが、こういう時期はテレビを消して音楽でも楽しみましょう。
今日は精神科医として、この事件に寄せて、私の思うことを書いてみることにします。犯人の深層心理の分析も大切ですが、今日は被害者となられた方々のことを考えてみたいと思います。報道によると、犯人は被害者たちについて「『話を聞いてほしい』と言っていた。本当に死にたいと考えている人はいなかった」と話している、とのことでした。
私は精神科医として、死にたいという気持ちを持つ方々、死にたい気持ちを抑えられない方々、またそうした行動を起こしたことのある方々と日常的に接しています。そんな私から見ても、本当の意味で死にたいと思っている人はいません(もちろん、そういう人はそもそも病院に来ない、というのはあるかも知れませんが)。誰でも、本当につらい時には死にたい、消えたい、と思う瞬間はあるでしょう。しかし、ふと我に返ると、自分はいったい何を考えていたんだろう、なぜあんなことを考えていたんだろう、と感じるものです。たしかに、あの時死んでしまえれば楽だったのに...とおっしゃる方もあります。しかしそれは、裏を返すと今は死ぬのが怖い(=本当は死にたくない)ということですよね。そもそも「死にたい」とおっしゃる方によく聞いてみると、本当は死にたいわけではないが、今の状況から逃げたい、消えたい、という方が大半です。痛くない、つらくない死に方などありません。人間に限らず生き物は寿命に達するまで生き延びるようにプログラムされており、自死というのはその本能に反する行動です。本能に抗ってそこに飛び込むためには、それ相応の「力」が必要です。それは通常の精神状態でできることではなく、いわゆる精神病状態(統合失調症、重症うつ病など)でないと本来できないことです。こうした病的状態に基づく、"hardな"希死念慮には入院を前提とした治療が必要ですが、こうした精神病状態の患者さんでさえ、病気が快方に向かうと死ななくてよかった、と思えるものなのです。
精神科・心療内科を標榜している当院でさえ、こうした方の割合は少なく、大半の方はいわゆる神経症水準(判断能力は保たれている中で、適応障害から希死念慮が発生する)となります。犯人が供述していたような、死にたいほどつらいが、本当に死にたいわけではない、話を聞いてほしい、という方々です。被害者の方々は高校生から20歳代まで、交際相手の一名を除き若い女性ばかりです。人生の中でつまずきにあい、一時的にしんどくなってしまったのでしょう。本当に死にたいわけではなく、つらい心情をSNSでこぼしたことがこんな悲劇につながるなんて、本人も考えてもいなかったはずです。SNSが助けになる場合もあるのでしょうが、もっと身近に相談できる人がいなかったのか、勇気を持って誰かに打ち明けられなかったのか...そんなことを思わずにはいられません。どうしても誰にも話せない時、誰かに話したけれども気持ちの穴がふさがらない時...そういう時は、精神科・心療内科の扉をたたいていただければと思います。今の気持ちが抜けるときが、青空が見えるときが、必ず来ます。それまで、なんとかやりすごしましょう。No.137も参考にしていただけますと幸いです。
今日は、少々重いテーマとなりました。今日の一曲は、軽く明るい曲にしましょう。ピアノ学習者にはソナチネアルバムでもおなじみ、モーツァルトのピアノ・ソナタ第16番ハ長調K.545です。ダニエル・バレンボイムの演奏でどうぞ。ではまた。

2017/11/14

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