横浜院長のひとりごと No.279ハンターとファーマー

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とうとうお近くのダイエーが閉店してしまいました(T_T)。震災の際に前の路面が崩れて大変なことになった記憶が強いところですが、やはり耐震面のことから全面建て替えのようですね。上の住宅もすでに全面退去となっていたそうで。数年後に新たなビルとなり、イオンが入るとのことです。ここはしばらく待ち、ですね。お隣の旧河合塾ビルの取り壊しも進み、クリニックのビルの男子トイレからは新横浜通りが見えるようになりました。変わりゆく南幸、これからどんな街になって行くのでしょうか。

hitorigoto-278c.jpgさて、発達特性についての話を続けておりますが、今日はADHDの特性についてわかりやすく伝えているトム・ハートマンの考え方をご紹介しましょう。
彼は医師ではなく、実はADHDの当事者です。様々なビジネスを立ち上げ成功させているマルチな経営者とのことで、複数の事業をマルチに動かすというADHDの一つの成功パターン(特性から、一つのことに集中するより気分によってやることを変えられるのがよいみたい)を地で行っている方のようです。
彼によると定型発達者が農夫(ファーマー、農耕民族)であるのに対して、ADHDの方は猟師(ハンター、狩猟民族)であるというのです。
(出典:トム・ハートマン著 片山奈緒美訳 ADD/ADHDという才能 ヴォイス:絶版本です。私はamazonで古本買いました)
農業が耕作から収穫まで、長期的な計画に基づいて淡々と水やり、病害虫対策など、同じ作業を毎日行っていくのに対して、狩猟は一発勝負、短時間集中作業でして、逆に動物にやられてしまう危険もあります。また、狩猟民族は比較的少人数で獲物を求めて住居を移していくのに対して、農耕民族は農地に定住しそこで大きな社会を作っていきます。かつては縄文人=狩猟民族、弥生人=農耕民族、と習ったものですが、最近の研究では縄文時代にすでに農耕は行われていたとのことで、単純に分けることはできないようです。世界レベルでは古代メソポタミア文明から農耕社会が確立したようで、ここで見られる人類史上の大きな変化、ダイナミクスについてはジャレット・ダイアモンドの著作に詳しいところです。
現代日本のような平和な社会では、ルーチンワークを主体とし、会社に管理される職業が中心となります。これはいかにも農耕民族的な発想であり、狩猟民族からすると窮屈に感じるでしょう(一部発想力と行動力に優れた狩猟民族は大成功する可能性もありますが)。坂本龍馬の例もありますが、乱世の方が狩猟民族(ADHD)には向いているとも思われます。現在、世の中だんだんきな臭くなってきていて、今後また狩猟民族のほうが住みやすい世の中になるかも知れませんね。


ハートマンによると、定形発達者(ファーマー)の特徴は
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・周囲に注意を奪われない
・ゆっくり着実な努力を続ける
・先のことまで視野に入れる
・気が長い
・チームプレーをする
・細部に気を配る
・注意深い
・根気よく待つ



それに対し、ADHD(ハンター)の特徴は
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・常に周囲への注意を怠らない
・狩りに全神経を集中させる(時間は伸縮自在)
・環境の変化に応じて、とっさに計画を変更する柔軟さを持っている
・狩りに全エネルギーを費やせる
・視覚的な思考をする(?)
・狩りを愛するが、決まりきった作業にはすぐに飽きてしまう
・普通の人なら避けるような危険に立ち向かう
・自分にも周りの人間にも厳しい


とのことです(上記出典書籍による)。


ADHDといえば不注意、と考えがちですが、一点にあまり集中しない=広く浅く注意を払う、ならば敵が近くにいる状況ではより生き残る可能性が高いとも言えるでしょう。また不注意というよりも注意力のムラ(不注意〜過集中の間での変動が大きい)というのが正しく、いざ目の前に敵(動物)が現れたら全神経を集中させて狩りに没頭します(過集中)。ADHDのいわゆる衝動性の高さも、そういた状況では考える前に動かないとやられちゃうこともあるわけで、行動力としてこうした状況では生き残る可能性を高める要素となるでしょう。「環境の変化に応じて、とっさに計画を変更する柔軟さ」というのは、例えば獲物が逃げた場合、あまり深追いすると敵の集団に囲まれる可能性もあるわけで、早めにあきらめて次の獲物に切り替えることも必要なのです。あまりこだわってしまうとかえって失敗する状況なわけですね。ハートマンは視覚的思考をする、と述べているのですが、ここはちょっと疑問が残りますね。狩猟は敵が見える前から、微かなにおいや音の察知が命運を分けるといえます。見えた時にはもうやられていることもあるでしょう。ADHDの方はサッケードと呼ばれる眼球運動に異常があることなども報告されており、視覚はむしろ弱い(一点注視ではなく幅広く見るという面では得意不得意の範囲内でしょうが)ともいえます。
いずれにせよ、このハートマンの指摘は学会ではあまり注目されていないようですが、私は大事なことを含んでいると考えています。それは要するに定型発達者とADHDの方とでは認知のパターンが異なっており、どちらがよい悪いではなく、たまたまおかれた環境、時代があっているかどうかということが大きい、ということではないでしょうか。No.275でもお話しましたが、病気や特性というのは人類が生き残っていくために必要だから存在すると考えるべきで、ADHDにしてもASDにしても、きっとその特性が長所になる時代は存在するのだと思います。まあそうはいっても今の時代に生まれてきてしまった以上は、今どう現代社会に適応していくか、いろいろ工夫を重ねていく必要があるわけです。

では今日の一曲です。NHKで深夜に「ピアノの森」なるアニメをやっております。いよいよショパンコンクールの予選なのですが、数奇な運命を辿った中国人ピアニスト、パン・ウェイが奏でていた最もポロネーズらしいポロネーズ、ショパン作曲ポロネーズ第5番嬰ヘ短調。私の敬愛する2人のピアニスト、そうキーシンとホロヴィッツでどうぞ。キーシンは東京でのリサイタル、まだ15歳の時のものですがおそるべき才能ですね。ボロヴィッツは有名なカーネギーホールコンサートのものです。やっぱこの「嬰」ヘ短調というのがええわぁ。ではまた。

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