横浜院長のひとりごと No.316 後付けの難しさ

新番組・魔進戦隊キラメイジャー。キラッと参上、カラッと解決...なかなかいい口上だ。だが、日本じゃあ二番だ。。。何の話か分からない人は最後まで読んで下さいね(^_^)。相変わらずの特撮オタク、横浜院長の柏です。もうすぐワニと会えなくなるのがつらいところですね。
さて、発達障害者が複雑性PTSDに陥りやすい要因についてシリーズでお話していますが、今日はその3.「特性による親や周囲との関わり方の違い(困難)」についてです。次のその4.「 特性による親や周囲からの本人への関わり方の違い」とも表裏一体ではあるのですが、今回は本人の観点からお話しましょう。
空気を読まずに発言したり(ASD)、思いついたことを考えなく口にしたり(ADHD)、対人関係において不利に働くことの多い発達障害特性ですが、このあたりをちょっと掘り下げてみましょう。今日はASDを中心に書いていきます。
村中直人先生のツイートに大変興味深いものがありました。



ASDの子供と定型発達のお母さんのすれ違いの典型例ですね。こうしたすれ違いが、子供のうちはお母さんや家族と、成長すると友達や先生と、そして大人になっても会社の上司や同僚、交際相手との間にと...次々と起きてきます。説明は村中先生のブログに詳しいのでそちらを読んでいただければ十分なのですが、「2時までにお部屋のお片づけ出来る?」という文章をどう理解しているかの違いがポイントとなります。この子供は、文章の意味をそのままに、つまり2時までに片付けることが「可能かどうか」を問うているものと理解しています。しかしお母さんは、「2時までに片付けておいてね」という意味で話しています。定型発達者の世界では、このように状況・文脈から読み取れるものがあり、あえてそれを明言はしないが、阿吽の呼吸でコミュニケーションが成立する場面がしばしば見られます。日本人はとくにこの傾向が強いかも知れませんね。この場合も、この状況でそう言われれば、それは2時までに「片付けてね」(依頼)、さらには「片付けなさい」(命令)といった文脈が隠されているわけです。しかし、ひとつひとつの物事や単語には関心が強いが、そのつながりや文脈といった有機的結合に弱いASDの方にとっては、そうした「文脈を読む」「空気を読む」ことは至難の業であり、それができる人に対しては「テレパシーでも使っているのか?」「お前はバビル2世か??」と見えるようなのです。よってこの場合、2時までに片付けが「可能かどうか」を尋ねられなので「できるよ」と返答したが、実際にするかどうかは別問題で、それについては何らコメントしていない、というのがこの子の立場です。いわゆる「字義通り」というやつですが、純粋国語的にはこちらが正しいわけですよね。
問題は、お互いに自分が正しいと思っていて、ほかに異文化の考え方がありうることに頭が回っていない(知らないのだから当然でもある)点にあります。

hitorigoto-316.jpgそうです。ASDと定型発達のコミュニケーションは、異文化コミュニケーション(異文化コミュニケーションといえばかつて留学直前、私もNOVAに通いましたっけか)。お互いに違う文化をいかに尊重できるか、お互いの文化を知る努力、そして興味を持つことができるか。人間の寛容性、こころの広さが試される場面でもあるのです。
余談ですが、このように言葉の表現とそれを使う者や文脈との関係を研究する(言語学の)分野を語用論(pragmatics)といいます。ASD診断についてはDSM5で変更があり、これまでの自閉症、アスペルガー症候群、特定不能の広汎性発達障害がASD(自閉スペクトラム症)にまとめられたのですが、別に「語用論的コミュニケーション症」という診断項目が作られています。これは、今回述べたような語用論的な困難を中心に社会コミュニケーションの障害を有するが、ASDのようなこだわり(イマジネーション障害)を持たないような場合に、この診断が用いられることになります。
話は戻りますが、ASD特性を有する方は幼少から大人になるまで、このようなコミュニケーションギャップとそのストレスを感じ続けています(もちろんそうでない方もあります)。上記特性を抱えたまま会社員になったとしましょう。「A君、B社の担当さんに連絡取れる?」「はい、取れます」 そして翌日...、ということが起こるわけですね。
No.216でお話したように、ASDの場合母親からの視線に気づくのが遅れます。
これはすなわち自分以外の他者がこの世に存在することへの気づきが遅れることとなります。自閉症スペクトラム、と言われる通りこの「自閉度」は人によって様々であり、人によってそれぞれ、ある時点で他者の存在に気づくようです(スペクトラムの一番濃いところ...究極の自閉症の場合、最後までこれに気づけないこともあるかも知れません)。ぼっちの世界から他人のいる世界へ。これは彼らにとっては天地がひっくり返る、コペルニクス的展開と言えます。自分だけの世界であれば、単語、文章は字義通りで何も困ることはありません。他人のいる世界になると、一次元が二次元、三次元へと広がり複雑系となります。定型発達者が生まれつき自然に身につけてきた対人スキル、語用論的テレパシー力を、あとから人工的につけていく必要が生まれます。ASDの方でなにか話し方や動作がぎこちない方、ロボットのような動き、アナウンサーのような話し方(あるいは独特のイントネーションなど)が見られることがあるのも、後付けの大変さを物語っています。
当院にいらっしゃる方の困りごとの多くに(ほとんど、と言っても過言ではないでしょう)対人関係の問題が存在します。定型発達者でさえ苦しむ対人関係、そもそも対人関係に困難をずっと抱えてきたASDの方の場合、幼少からの長い期間にわたって傷つきやすい状態がつづき、これが複雑性PTSDが生じやすい原因の一つとなっているのです。
ADHDを抱えた方の場合(これはこれで、いずれ詳しく書きましょうね)、不注意や多動のために失敗を重ね、周囲からネガティブな評価を受ける確率が高くなること、衝動性からの不用意な発言や行動が対人関係に大きな打撃を与えることなどが幼少から続くため、ASDとは違った意味で複雑性PTSDを引き起こしやすいものと考えられます。

今回の出だしの文章がわからなかった皆様、「日本じゃあ二番だ」はこれとかこれとか見ていただければお分かりいただけるかと。口上はこちらです。では今日の一曲、怪傑ズバットの主題歌「地獄のズバット」をどうぞ。いつ見てもカッコエエなぁ。ではまた。

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