横浜院長のひとりごと No.342 近眼性

横浜院長の柏です。今年も残り少なくなってきました。新型コロナウイルス、第3波到来ではありますが、われわれに出来ることはマスク、石鹸で手洗い、三密を避ける、と極めてシンプルなことに変わりはありません。今年は家族で、静かな年末年始を楽しみましょう。


さて、発達障害の成り立ちについてシリーズでお届けしていますが、今日からADHD(注意欠如多動症)の成り立ちについて、私が考えていることをお話します。エビデンスベースではなく、あくまで私自身のナラティブな考え方ですのでそこをご了解の上お読み下さい。ADHDとは、注意障害(不注意、集中力の障害など)、衝動性(認識から一足飛びに行動するなど)、多動性(静止困難、落ち着きの無さなど)という3つの症候をもつ発達障害の一タイプです。このADHDの成り立ちですが、一言でいうと彼ら・彼女らは『「今、ここ」に生きている種族』だと私は考えています。ちょっと詳しくお話しましょう。


「ゾウの時間、ネズミの時間」という新書がありますが、われわれ人類、そして生物はみな、同じ地球上の同じ時間に生きているわけですが、主観的にはそれぞれ、生物種によって時間の捉え方が異なる、というのがこの本の要旨です。この考え方は、もとを辿ると1934年に出版されたユクスキュル/クリサート「生物から見た世界」がオリジナルと思われます。ここに述べられている考え方は、ユクスキュルによる環境世界論として知られており、「普遍的な時間や空間(Umgebung、「環境」)も、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる」といった内容です(出典:上記図書)。


この考え方を人類の内側にも外挿してみると、同じ環境にいても人によって時間や空間の捉え方が異なっている、という考え方は決して突飛なものではない、とお分かりいただけると思います。時間についてはとくに、あなただって楽しい時間はあっという間に過ぎ、ツマラン会議は永遠に続くように感じることとかありますよね。このように、客観的には同一の時間や空間であっても、主観的な捉え方によって、伸び縮みすることはいくらでもあるのです。ADHDの方々(こういう考え方をする際は、本田秀夫先生の言われるように「種族」というのがしっくりくる気がします)は、この伸び縮みが定型発達者よりも極端、振れ幅が大きい種族なのです。そして通常は、定型発達者よりも空間的にも時間的にも、より近いところにフォーカスがあると考えると彼らの特性が理解しやすい。つまり、彼ら・彼女らの特性は一言で言えば「空間的・時間的近眼性」(私の造語ですんで、そこんとこよろしく)ということになります。近眼性、というのはあくまで例えであって、「空間的近眼性」とは、今目に見えているものの処理能力が低く(目が悪いわけではなく、脳の処理能力の問題)、必要な情報を抜き出すやり方が定型発達者と異なる、ということです。「時間的近眼性」とは、時間軸に沿って記憶する力が弱く、記憶の抜け落ちが生じやすい、ということを言っています。脳科学的には実行機能、そしてワーキング・メモリーに課題がある、と考えられますが、まだ明確な説明は困難です。
こうした「近眼性」が、忘れ物、落とし物、ケアレスミス、言われたことをすぐ忘れる、などの注意障害に至ることを想像するのは難しくないでしょう。しかし「近眼性」をもって、対象とのフォーカスがたまたまぴったり合うと、逆に「過集中」とも呼ばれる高い集中力を持った状態になることもあり、これは彼ら・彼女らの優れた能力の一因ともなります(過集中により疲れ果ててダウンする原因ともなりますが...)。つまり、彼ら・彼女らの注意障害とは注意力のばらつきの大きさであり、不注意から過集中まで、定型発達者よりずっと大きな幅をもっている、ということなのです。なお、ASDでも過集中がありますが、そちらはこだわり・狭い興味にちょうどフォーカスした場合になるものであり、ADHDはゆらぐ注意がちょうどゾーンに入った場合になるものであることから、私は質的に区別されるべきものと考えます。


幼少から「時間的近眼性」を持って育つ場合、時間が経つとすぐに抜けてしまう、忘れてしまうという特性はその子どもが生活していく上で、大きな困りごとになりますね。さて、そういう子どもがこの不利を補うには、どうすればいいでしょうか。答えは「抜ける・忘れる前に行動する」です。何かを認識したら、すぐに行動に移す。そうすることで、抜ける・忘れることによる重大な損失を回避することができます。これは、「行動力がある」というポジティブな評価もできるのですが、ともすると「行動が早すぎる」「あまり考えず行動している」ということになります。通常、「物事を認識する→行動すべきか、したらどうなるかを考察する→行動する」という流れとなるのですが、この真ん中のプロセスが飛んでしまうor疎かになってしまうわけです。そしてこれが「衝動性」と呼ばれる特性の一つの説明になるだろう、と私は考えています。
では、「空間的近眼性」に対してはどうしたらいいでしょうか。我々は今いる場所から見えるもの、それを認識して行動につなげていくわけですが、「空間的近眼性」を持って育つ場合、その場から得られる情報が少なく、そのままでは適切な行動を取れない可能性が高いわけです。さあどうしますか。一つの答えは、「視点を動かす」ではないでしょうか。いろいろな視点、場所から周囲を認識することにより、情報量を上げ、情報の漏れ・不十分さによる行動上の不利を補うことができます。その結果が「多動性」というのは...私はそう考えるのですが、ちょっと無理がありますかね?
通常、注意障害は前頭前野の、衝動性・多動性は基底核の障害と説明されることが多いと思います。しかし、こうした三徴の統一的・連続的理解は、よりADHDの本質に迫れるのではないか、というのが私の見解です。ぜひ皆様のご意見をお聞かせいただければと存じます。

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さて今日の一曲ですが、ショパンにいたしましょう。ショパンは何度もご紹介しているのですが、ワルツがまだだったようです。短調好みの私が選ぶ一曲目は、「華麗なる円舞曲(ワルツ)」と題する作品34の3曲から、第2曲(op.34-2)イ短調です。ホロヴィッツがホワイトハウスで演奏した、超貴重な映像がありました。好き嫌いが分かれるところでしょうが、私にはこのつや消し黒のNY Steinway(ニューヨーク・スタインウェイ)による彼の演奏が至高なのです。わが家にも、実はアメリカ留学から持ち帰ったNY Steinwayがありまして...この家宝、いずれご紹介しましょうね。ではまた。


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