横浜院長の柏です。夏休みをいただいていました。さて、また前回から2ヶ月、間が空いてしまったのですが、今回はタイトルにある本を読んで考えたことについて書いてみます。ちょっと長文になります。
この本は、脳神経内科医のスザンヌ・オサリバン博士が世界各地の「謎の病」を調査する旅をして、集団ヒステリーとも呼ばれる伝搬性の変換症(転換性障害)を追った貴重な記録です。変換症については、No.399でご紹介しています。無意識のこころの動きが引き起こす、けいれん発作や麻痺、歩けなくなるなどの、まずは脳神経内科領域の病気が疑われる症状群を示す病気です。No.399でお話したようにこれはわざとやっているわけではない(わざとやっているのは作為症や詐病…これらの違いもNo.399を読んでね)のですが、「無意識のこころの動きが引き起こす」とかいうとどうも一般の方々には詐病との区別がつきにくいようで、誤解を招きやすい点があります。その誤解は当事者においてもそうでして、発作を繰り返しているご本人もご家族も、そうした病名には納得されず、もっとそれらしい(てんかんとか○○病とか)病名がつくまでドクターショッピングをされる場合もあるようです。この問題は精神科だけではなく当然ながら神経症状を直接扱う脳神経内科にもあり、同科では機能性神経障害(FND: Functional Neurological Disorder)という病名を新たに用いるようになりました。FNDにおいては、神経学的に説明できない徴候=陽性徴候の存在が求められます。そして、これが重要なことですが、近年診断基準がアップデートされて、心因(ストレス因)はなくともよい、ということになっています。「無意識のこころの動きが引き起こす」というとなんらかの心因があって症状が作られている、と考えやすい…とくに精神科医はそうした陥穽に陥りやすい…のでより注意が必要かと思われます。
さて、この本は世界中で、集団で発生するFNDを追った記録です。スウェーデンで子どもたちが何年も眠りつづける「あきらめ症候群」、ニカラグァ先住民にみられる幻視や精神運動興奮「グリシシクニス」、カザフスタンの嗜眠やまとまらない言動を示す「眠り病」、コロンビアの小村で少女たちが意識不明、けいれん発作などを起こした問題などなど…。
それぞれ、よく辿ってみるとその地方ならではの課題が存在しているようで、例えば、スウェーデンでは難民申請が認められない家族の子どもに集団発生しています。そこでは、親が理解できないスウェーデン語を理解できる子どもが、難民申請の却下を示す郵便物を通訳して親に伝えるような状況があるようです。自分が強制送還される恐怖に加え、強制送還を恐れる両親にそれを伝えなくてはならない、という二重に酷な状況があるわけです。難民申請が認められたとたんに良くなるケースもある中、本書にも登場する現地の女医が献身的に患者の子どもやその家族に寄り添い、脳の病気であることを明確にして難民として認められる手助けをしようと奔走している姿が描かれているが、結果としては彼女の治療を受けている子どもたちは眠りから覚めてこない、という事実が報告されます。
カザフスタンの眠り病では、ソビエト連邦時代にウラン鉱山があり、モスクワからの莫大な資金投入にて栄華を極めた街が、ソ連が崩壊しカザフスタンとなったことで鉱山が閉鎖され、人も去りゴーストタウンとなった街がその舞台でした。人々の抱える不安や絶望がその背景にあると筆者は分析しているようですが、実際には現地にジャーナリストや自称科学者が入り込み、閉鎖された鉱山の鉱毒が原因で、政府はそれを隠蔽している、という(のちに科学的に否定されている)考え方が患者やその家族に広まりました。陰謀論ですね。市井の方々は、わかりやすい原因を好みます。寂れゆく街におきた変換症などというわかりにくく、心理的要因が絡んだ(こころが弱い、などと誤解を招きやすい)ものが原因とは認めたくないわけです。原因を外に求めることはわかりやすく、また政府に補償を求めるという方向に行くこともできるわけです。陰謀論…さきの参院選での某政党の躍進をみるに、つくづく人の心理は難しいものだと思います。
コロンビアの小村の事件では、子どもたちが変換症状をきたした原因としてHPVワクチン説が唱えられています。コロンビアは麻薬マフィアなどでかつてはきわめて治安が悪く、この地方でも大虐殺が起き、その後も治安が安定しない状態が続いていたと思われる中で、学校などで次々に少女たちが倒れていく状況が生まれていました。そこに入り込んだ反ワクチンの考え方を持つ大学院生とともに現地入りした医師が「HPVワクチンが原因の自己免疫疾患」という診断を下しているが、その医師の報告書は査読論文ではなくツッコミどころ満載のもので、とても科学的根拠をもつものとは見えなかった、と筆者は書いています。医学者はみな、謎の病気を解明して功成り名遂げたいという野心を持っている、というと言い過ぎでしょうか。しかしそのためには高い能力と幸運の両者が必要で、それはなかなかできることではありません。HPVワクチンによる自己免疫疾患が本当に明らかになれば、それは大発見であり著者は名声を手に入れることができるでしょう。しかし現実には、日本を含め多くの国でのエビデンスの高い研究ではHPVワクチンの危険性はプラセボのそれと変わらないことが証明されています。おそらくは当地における社会的状況、文化的背景などから発生した集団ヒステリーとしてのFNDと考えられます。しかし、当時者からするとそれはわかりにくいものであり、ワクチンというわかりやすい外因を提示されるとそれに飛びついてしまうという心理は、これはさきほどのカザフスタンの鉱毒と同じ構図ですが、まあ無理もないところです。
わが国では、この本で示されたような集団発生〜同じ村や学校などで次々と患者が発生する〜ではないですが、HPVワクチン後遺症について似たような状況が生まれています。ワクチン接種後にけいれんや不随意運動などの激しい神経症状様症状を呈する思春期の患者が次々に報告されました。しかし、ワクチンとの因果関係を明らかにする目的で実施された、所謂名古屋スタディにて科学的に否定されています。わが国でも、薬害を訴えるグループが患者に接近し、HPVワクチン後遺症を唱える医師の診察を受けさせ、そうした偏った(科学的ではない)医師がそうした診断をつけることでHPVワクチン後遺症患者が増大しているという現実があるようです。裁判では、これらの患者には発病以前から生育歴上の問題が多く指摘されてきており、HPVワクチンだけを原因とするのは無理があることが示されてきています。しかし、反ワクチン団体の「洗脳」を受けた患者や家族は、わかりやすい外因であるワクチンが原因と信じて疑わず、補償を求めて国や製薬会社と戦う状況となります。
ここで大切なことは、「診断を与えられることの重要性」です。医師の下す診断というものは患者本人にとってとても大きなことでありまして、「鉱毒の被害者」「HPVワクチンの被害者」というアイデンティティが形成されてしまうと、実際には個人や社会の背景があるにしても、そのアイデンティティから抜け出せなくなってしまい、その文脈でしかものが見えなくなってしまいます。とくに支援者や活動家、マスコミなどが周囲で動き、複数の患者が次々に生まれているような状況ではそれが強くなってしまう・・・すなわち、そうした周囲の行動が症状を強めていることもある、と筆者は述べているのです。
一番困るのは、この状況になるとなかなか症状が緩和しないということです。もともと変換症は治療が難しいところがあり、現代の精神医学や脳神経内科学(FND)では、認知行動療法を中心とする精神療法、理学療法、作業療法、抗うつ薬などの薬物療法を組み合わせた、治療チームによる丹念な治療が求められます。自分の体としっかり向き合った治療が必要であり、外部に敵を想定してもなかなか症状はよくならないのです。こうした誤った介入をする人々は患者を不幸にしており、まったく許されないところです。
話が変わりますが、診断の重大性ということでは、発達障害という診断をつけるかどうかにも医師には相当な慎重さが求められます。まずは本人やご家族がそれを受け入れられるかがありますが、受け入れた段階で、今度は「発達障害をもった○○」というアイデンティティが生まれます。これがプラスに出る場合もマイナスに出る場合もあり、また診断精度の問題から医師によって診断がついたりつかなかったりする問題もあいまって、ここはなかなか臨床場面では難しいところだと、最近強く感じるようになりました。私の外来の場合、他院で発達障害の診断を得て、専門医として紹介されてくる方が多くあります。しかし、その一部の方は発達障害ではなく、他の精神疾患の現れであることが時々あります。患者さんとしては、すでに発達障害としてのアイデンティティ形成が進んできている段階であり、発達障害ではない、ということを受け入れることが今度は難しくなっていたりするのです。来院された方がこの本に示された不幸な患者さんたちのようにならないよう、まずは正しい診断、正しい治療方針を立てていくことが重要である、と改めて襟を正す次第です。
さて、難しいケースが並ぶこの本ですが、ニカラグァ先住民にみられる幻視や精神運動興奮「グリシシクニス」はちょっと違っていて、相当に激しい精神運動興奮が女子学生に多発するのですが、現地ではこれを悪魔憑きと捉えていて、ヒーラーのもとを訪れすっきりとよくなるのです。統合失調症でも緊張病は予後が比較的良いことが知られていますが、グリシシクニスも症状のその激しさからは想像しにくい良い治り方をするようです。このように社会的・民俗的状況から生まれてくる精神症状は、病気としての介入よりもこのようにシャーマン的な介入が望ましいのかも知れません。精神科医として考えさせられますね。
では今日の一曲。ショスタコーヴィッチの第5交響曲です。当然以前紹介したものと思っていたのですが、検索してもかかって来ず…この曲はもうバーンスタイン/ニューヨークフィルしかないのですが、なんと1979年東京文化会館でのライブ動画がありましたのでどうぞ!とくに40分からはじまる終楽章は凄まじい破壊力です。ではまた。



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