横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.402 ニューロダイバーシティ

皆様あけましておめでとうございます、と例年年初のブログには書いているのですがすでに2月も半ば…すみません今年は年始から去年に増してさらに多忙でして、まるでブログが書けておりません。2月になったことに気づき、あわてて年初ブログにとりかかっております。さて今年も一年、健康第一で参りましょう。
さて、前回年末のエントリーではグレーゾーンの話をしました。これは、定型発達と非定型発達(発達障害)の境界領域の話でしたが、最近ではこれを超えて、ニューロダイバーシティという概念が知られるようになってきています。今日は年初一発目の話題として、この話をしたいと思います。
ニューロダイバーシティ…なんかロボットアニメにでも出てきそうなカコイイ名前ですが、さあどういう意味なのでしょうか。ニューロ=神経(neuro)ですね。脳神経という単語があるように、この場合の神経は末梢神経というよりは中枢神経、すなわち脳のことを指していると考えてよいでしょう。そしてダイバーシティ。最近ちらほらとニュースなどでも聞く単語ですよね。え、お台場シティ?うーん、それはたぶんダイバーシティにかけて作った造語なのかと(笑)。そうそう、「ダイバーシティ教育」などという言葉は聞きますよね。ダイバーシティは日本語では「多様性」ですね。さまざまなものがごっちゃにあるような状態。一般的には、民族や人種、国籍、性(性的指向性、性自認ふくむ)、そして障害の有無などについて、その多様性を認めようというのがダイバーシティ活動であり、そのための教育がダイバーシティ教育です。ニューロダイバーシティは日本語では「神経多様性」。経済産業省のHPには、こうあります。
「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方であり、特に、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、学習障害といった発達障害において生じる現象を、能力の欠如や優劣ではなく、『人間のゲノムの自然で正常な変異』として捉える概念
神経多様性なら知的障害や精神障害についても含めてもいいようにも感じますが、歴史的にこの言葉がASDの権利推進活動から生まれたという背景もあるようで、現実には発達障害者の持つ発達特性を、自然で正常な変異(発達凸凹)として認めようということです。ご存知のように、発達特性とは実生活でマイナスに働くこともあれば、プラスに働くこともあります。
例えば…
・ASDのこだわりの強さ→一つのことをやり抜く能力
・ADHDの衝動性→行動力、積極性
などなどです。凸に働くこともあれば凹に働くこともある。大多数派である定型発達の方々を基準に作られたこの世界では、凸凹と飛び出していますが、それは悪いことだけでもありません。さらに言えば、ASDやADHDなど、発達障害の診断基準の項目をぱらぱらと読んでいって、どれ一つあてはまらない、なんて人はいるんでしょうか。私など、とくに子どもの頃を思い出すとASD特性バリバリだったと思います。知り合いの医師を思い浮かべても、ADHDバリバリの先生たくさんいるし…。
医師は診断という作業を行う際、どこかで病気がある/ない、の線を引くことを迫られます。診断は当然ながら治療・支援のために行うものであり、診断の有無によって治療・支援の必要性やその程度を決定することになります。しつこいですがこの診断は心理検査で行うわけではなく、ましてや脳波検査などで行うことは不可能です。生まれてから現在に至るまでの発達特性の出現の経緯をつぶさに聞き取り、前回お話したようにDSM-5などの診断基準にあてはめることで診断をつけます。ただ実際の治療・支援は、診断基準にきれいにはあてはまらないが支援が必要、という人に対しても行われるのが実情です。ここで、診断は治療・支援のためにある、と書きましたが、実はもう一つ、診断は福祉制度導入のため、という目的もあります。障害者としての行政サービスを受けるためには精神障害者保健福祉手帳(発達障害も知的問題メインでなければこちらになります)が必要で、それを入手するためには医師の診断書が必要なのです。障害年金もそうですが、介護保険、訪問看護などのサービス導入にも医師の診断書・意見書は必須です。これらの診断書は生活障害の程度についての記載がメインとなりますが、そうはいっても診断は必須であり、こうしたサービスを受けられる/受けられない、のオール・オア・ナッシングで診断が影響するという事実は、前回お話したグレーゾーン問題に悩むわれわれ医師にとっても頭の痛い問題なのです。
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ではここから本題です。今日の本題は、前回お話した「グレーゾーン」という概念から、今日のお題である「ニューロダイバーシティ」への概念拡張、ある種のパラダイムシフトを試みることです。グレーゾーンの考え方というのは、図1に示したように、発達障害と定型発達者の間にグレーゾーンが存在する、というイメージですね。グレーですからまあぼんやりしてはいますが、基本的には発達障害〜グレーゾーン〜定型という3群のタイプ分けがこのコンセプトの主眼にあります。それに対して、ニューロダイバーシティの考え方は図2です。左から右へのグラデーションの絵を入れたかったのですが、なにやらうまくいかんかったので(笑)この絵でこらえてやってください(汗)。線の間隔を見ていただいてご想像いただきたいのですが、図1と同じく右へ行くほど発達特性の色が濃くなることを示しているのですが、図1との違いは、全体を3群に分けることなく、ひとつながりのものとしてと捉えていることです。
定型発達と呼ばれている者でも、前述のように何かしらの特性はある。その程度が人によって違うだけで、その分布は正規分布…かどうかは知りませんが、連続的に分布していて、線を引こうと思えばどこにでも引けるが、ニューロダイバーシティの考え方ではあえて線を引かず、あくまでも連続的なものとして扱う、というのがミソですね。医療診断においてわれわれ医師の仕事は線を引くことですから、これはなかなか新鮮、コペルニクス的展開でもあります。でも、ロシアとウクライナの間にも、アメリカとメキシコの間にも本当は線なんかなく、人が勝手に「国境線」なるものを引いているのと同じで、発達特性の程度にも、本来は線なんかないんです。さらに述べるなら、一般的な意味での特性の強さと実生活での困りごとの程度とは、必ずしも比例しません。発達障害の場合、本来は治療・支援の必要度の高さを基準にすべきで、そうなると実はそれは発達特性自体とは(相関はあるものの)若干のずれがあります。特性バリバリでも仕事へのマッチングがよく、家庭環境に恵まれていればとくに支援の必要はありませんし、逆に診断基準閾値下であっても、環境とのミスマッチが強ければそれは障害相当となります。こうした問題を考えるといつもモヤモヤするのですが、ニューロダイバーシティの図式で考えるとスッキリと捉えられるというものです。もちろん現実には、医師はどこかで線を引いて診断書を書くわけですが、その際にもこうしたニューロダイバーシティの考え方をしっかりと持っているかどうかは、重要なポイントだと考えています。
定型発達と言われる人でも、特性(凸凹)は必ずありますし、みんなその弱点を最小化し、強みを最大化するように知らず知らずに工夫していることでしょう。これを発達障害者の困りごとまで外挿し、みんなでやり方を考えていける世の中にする…ニューロダイバーシティについて皆が知ることは、そうした明るい未来への第一歩なんだと、私は考えています。
今年はじめの今日の一曲はこれ、海のトリトンから「GO! GO! トリトン」です。うーん血湧き肉躍るな。ではまた。

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