横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.395 情動調節障害

横浜院長の柏です。横浜も、まだまだ新型コロナの感染者数が高止まりしております。当院でもひきつづき感染対策を実施してまいります。体調不良の方は積極的に電話再診をご利用いただき、入り口の体温センサーもよろしくお願いいたします。
体温といえば、通常の体温は36℃台とされ、ウイルスなどで炎症が起きると37℃を超えます。一方で、これは来院中の方にも多いですが、平熱が35℃台というかたも一部いらっしゃいます。36℃台が、酵素の働きをはじめ身体の機能にとって最適な環境であることもあり、35℃台ではどうしても機能的に十分でないところがあり、なかなか起きられない、元気がない方が多い印象です。
体温や血圧などは数値で出ますのでわかりやすいですが、人間の精神活動、たとえば知性、感情、意志なども通常は一定の範囲内にありますが、これらも不調になると高すぎたり低すぎたりという状況が生まれます。かつてドイツの天才精神医学者エミール・クレペリンは双極性障害における気分変動をより詳細に分析し、さきの「知性、感情、意志」(Intellect/Emotion/Volition)それぞれのゆらぎがあるものとしました。図参照(出典:J Affect Disord 137:15, 2012)
ひとりごと395-1.png
双極性障害でなくとも、誰でもその日その時の調子によって、頭の働きがよかったり悪かったり、気分が安定していたり揺れやすかったりするものですよね。それぞれ、通常は脳の中にサーモスタットみたいな機能があって、一定の範囲内に保たれるように自己調節されているのです。双極性障害では、このサーモスタットがはずれて躁状態、うつ状態という気分の極端な状態が持続します。この場合、気分の変化は定義上はうつ状態が2週間以上、躁状態は1週間以上といずれもそこそこ長く続く必要があります。これは気分の「値」そのものが大きく変化することを指していますが、実際にはもう一つ別の病態があります。それは、些細な刺激で気分が大きく変動する、すなわち「気分のゆらぎが大きい」状態です。些細なことですぐ怒る、すぐ絶望する、すぐ爆笑する…刺激反応性が高まった状態です。こうした過剰反応でも、時間軸でみてすぐに収まってしまえば双極性障害の定義は満たさないわけです。こうした状態を、近年は情動調節障害(Emotional Dysregulation; ED)あるいは感情調節障害(Affective Dysregulation; AD)と呼び、研究者の注目が集まっています。
どうもADHDの研究者はEDという用語を、複雑性PTSDの研究者はADという用語をそれぞれ用いるようですが、基本的にはほぼ同一の概念と考えて問題はないと思います。そういえばemotionとaffectionの違いについては大昔にNo.042でまとめていましたね。ここにも「”emotional disorder”は自閉圏のお子さんについて使うことが多い」とありましたね。ADHDがこちらを使うのはそうした流れがあるのかな。
さて、ここから情動調節障害(Emotional Dysregulation; ED)についてまとめていきます。ADも同じ概念としましょう。EDはADHDの診断基準(DSM-5など)には入っていませんが、一部のADHD研究者には重要な概念として捉えられています。Paul H WenderはWender-Utah基準という独自の診断基準にてこれを取り上げています。これは「調節がうまくいかず、受け入れられる情動反応の範囲に収まらない情動反応」とし、ADHDのみならずASD(自閉スペクトラム症)、境界性パーソナリティ障害、双極性障害や複雑性PTSDなどでみられるとしています。なんとなく「ゆらぎ」がキーワードとなるような疾患群でこれが見られることがイメージできるでしょうか(なお個人的には、ASDだけは他と毛色が違ってみえます。ASDでは、予想外、予定外の事態に直面した場合、という限定された状況にてEDが生じる点が、なんであれ気持ちのぶれを生じやすい他の疾患とは一線を画しているように感じます。)。
ひとりごと395-3.png
EDを図解したものがこれになります。外界から何らかの刺激が加わると、一定の情動反応(喜怒哀楽など)が生じます。通常、サーモスタットが働いてこの情動反応は一定の範囲内に収まっており、対人関係においても相手がどれくらいの反応をするか、というのは通常はある程度予想が立ちます。しかし、EDの状態ではそのサーモスタットがうまく働かず、情動反応が極端に大きくなります。相手からすると、なんでこんなことでそんなに怒るの?大泣きするの?と訝しむこととなるわけです。
図にありますが、逆に情動反応に極端に乏しいものはEmotional Bluntingと呼ばれ、気分障害の領域で一部注目されているようです。”Blunting”とは鈍麻とか鈍化とか、「にぶい」イメージの英単語です。しかし「感情鈍麻」という用語が昔から統合失調症領域で使われており、これは同病におけるブロイラーの基底症状のひとつでもあり、ちょっと意味合いが違います。そのため、なかなか適切な訳語がなく「エモーショナルブランディング」と呼ばれるのが通常です。
ADHD業界で、EDが一部の研究者でのみ受け入れられている主な理由は、上述のように他の疾患でも広く見られることから特異性が低い(診断の根拠となりにくい)ことがあると思います。しかし、現実にはEDのために結果的にセルフコントロールができなくなったり(このあたりはどちらが卵でニワトリなのか難しいところですが)周囲との関係性が悪化したりすることが多く、臨床的には私は大変重要な概念だと考えています。
そもそもADHDは、上述のASD、境界性パーソナリティ障害、双極性障害や複雑性PTSDと鑑別が難しいことがあり、また重複することもあるという複雑な関係にあります。EDを切り口とすることにより、診断や治療の方向性をつける一助となると考えています。
今日の一曲は、ヴァシリー・カリンニコフのピアノ小品「エレジー」です。カリンニコフはラフマニノフより7歳年上のロシアの作曲家ですが、結核のため34歳で早逝しており、あまり世に知られていない作曲家です。しかし、数は少ないものの交響曲第1番をはじめとする美しい作品が遺されています。ではそのカリンニコフのエレジーを、今日はウラジミール・トロップのピアノでどうぞ。ではまた。

コメント