横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.397 ASDとADHD〜症状の重複

横浜院長の柏です。大人の発達障害診療を続ける中で「ASDとADHDの関係性について」がここんとこ私のライフワーク的テーマとなってきています。先日、No.384にて現在の考えをまとめてみましたが、最近ちょっと違った視点から考えており、これから数回で現時点のまとめを作ってみたいと思います。メインテーマは、ASDとADHDはまったく別ものなのにどうしてASD+ADHDとされる方が出てくるのか=どうして両者の症状が似ていることがあるのか、です。この難問に答えを出すために、われわれ探検隊はアマゾンの奥地に向かったのでした(^_^;;。
今回は、症候学の観点から分析してみましょう。症状を丹念に見ていく方法論です。ご存知のように、DSM-5が定義する主要な症状はASDでは社会コミュニケーション障害とイマジネーションの障害、そして感覚過敏であり、ADHDでは注意障害と多動衝動性です。診断基準を一見するとまるで異なる症状が並んでいますし、典型的なケースでは外から見た様子(佇まい)がまるで異なる、真逆といってもよいくらいの違いがあります。しかし、実際の臨床現場ではなかなか鑑別が難しい場合も多いのです。これは、ASDなのに一見ADHDのような症状を示す、逆にADHDなのに一見ASDのような症状を示すことがしばしばあることがその理由と考えられます。目の前に現れる症状の背景をさらに掘り下げると、実は別の特性由来であることがあります。まとめるとこんな感じになります。
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各特性について、本来のASD, ADHDに由来するものは色付きで、本来とは逆の特性に由来するものは色なしで表示しました。一見ASD由来の社会コミュニケーション障害に見えても、実は注意をフォーカスすることが困難で相手の話をしっかり把握できないとか、衝動性の高さからすぐ相手の話を遮ってしまうことなどが原因のこともあるわけです。こだわり、融通が利かない、といったASD特性については、「過集中」という言葉が両者の関係性におけるキーワードと感じています。この「過集中」はASDでもADHDでもどちらでも見られるのですが、それぞれ意味合いが違います。ASDでは狭い興味関心の幅の中(スイートスポット)のものに過集中。なので、同じ対象に長く集中し続けることになります。電車のことばかり話してる電車オタク系ASDの方を想像するとイメージしやすいでしょうか。「今ここ」に生きるADHDではその特性として視野が狭いため、少しでも興味あるものがたまたまその視野に入ったところにロックオンがかかります。しかしこちらはもっと刹那的で、しばらくして飽きるとターゲットが別の対象に移ります。
一方で不注意についても、一般的にはADHD由来と思われがちですが、ASD特性から興味がないものには関心も注意も向けられず、結果的に不注意となってしまうこともあるわけです。同様に多動衝動性に見えるものも、狭い興味関心の幅の中(スイートスポット)にハマったものに対しては何も考えずに飛びつく傾向があるため、一見多動衝動性に見えることもあると思われます。
誤診を避けるためにも、そして安易にASDとADHDの併発を乱発しないためにも、精神科医には困りごとがどこから来ているかをしっかり聞き出し分析することが求められますし、当事者も自らの分析をぜひ行ってほしいと思います。
実は、このASDとADHDが似て見えることについてもう一つ新たなアイディアがあるのですが、これは次回ご紹介することとしましょう。
では今日の一曲。今日もショパンの気分なので連続ですがショパンで。幻想ポロネーズ変イ長調作品61を、昨年のショパンコンクールでの小林愛実の演奏でどうぞ。ではまた。

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