横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.246 医師と労働

hitorigoto-246.pngクローンポプちんのお面が欲しかった横浜院長の柏です。金曜の夜から、ずっと頭の中でこのメロディーが。


「炎のたからもの」です。いやぁ、宮﨑駿の最高傑作はナウシカでももののけ姫でもなく、やはりカリオストロでしょう。ピピ美もいいけど、やはりクラリス一番だな♡。
さて、こんなニュースがありました。北里大学が医師の労働時間を定めずに働かせていた、というニュースです。こうしたニュースは北里に限らず、いろいろな病院がニュースになっていますね。今日はこの件について私の意見を書くのですが、これがなかなか難しい作業でして、先週から書いているのにアップが今日になってしまいました。医師の立場からこういうことを書いていいのか? という内容でもあり、「爆弾発言」と取られるリスクもあります。いろいろご批判もあるかと存じますが、「古き良き時代」に医師になった中年医師のひとりごととしてお読みいただければ幸いです。
私は最後の昭和卒医師なのですが、私が医学生、研修医の頃はまだ「お医者様」の時代でした。医師は尊敬を集め、社会的立場・報酬も高いかわりに皆夜遅くまで病棟に残り、全力を尽くして担当患者のために勉強し、診療にあたっていました。長時間労働は当たり前。当直の次の日も朝から普通に仕事です。生命を、人生を救うという崇高な仕事を全うする者として、多少の無理は覚悟の上で仕事に取り組む、そしてそうした仕事にやりがいを感じていく…我々の世代は、そうやって一人前の医師に育っていったと思います。
しかし、その後時代が変わり「医療を受ける者の権利」が注目される時代がやってきます。「患者様」という言葉が生まれ、医師はトップダウンで治療を行う立場から、「お客様」に対して医療を提供する、いわば「商人」の立場となります。インフォームドコンセントが常識となり、二人三脚で治療方針を決めていく。医療の密室性が解かれ、必要な改善がなされていることはたしかですが、権利があまりにも誇張されると問題が起きるのは世の常です。軽症なのに救急現場で優先診察を主張する、高度医療を強く求めるなどの、いわゆる「モンスター・ペイシェント」の出現。人は最後は必ず亡くなるものであり、医師が全力を尽くしても救えないことはいくらでもあるのです。しかし、その際に医療者に心ない一言を残す人の出現。全力を出したのに報われず失意の中にいる医師には大変こたえます。そして医療訴訟の増加。もちろん明らかな医療過誤は厳しく断罪されるべきですが、医師も人の子。絶対に間違えないということはありえません(そこを求めるなら、究極はAIに任せるしかないと思います)。刑事訴訟で有罪となるケースもあり、そうなると医療は萎縮し、医療者にとって安全だが患者にはベストではない方向へと流れてしまいます。「善きサマリア人の法」という言葉もありますが、明確な悪意が立証されない限り、刑事罰は安易に下してはいけないと私は考えます。
どんな仕事でもそうでしょうが、高い使命感と目的意識があり、相手から必要とされる、頼りにされるという状況であれば、多少オーバーワークになってもそこまで心身の異常はきたさないものです(私は決して、過重労働を是としているわけではありません)。しかし、昨今の医療を取り巻く環境の変化は、医師の消耗をもたらし、こうした長時間労働に耐えうる力を奪っているのではないか、そんなことを考えてしまうわけです。そうした結果が各地で見られる医療現場の崩壊であり、今回提起した医師の労働問題のクロースアップなのではないでしょうか。時計の針は逆向きには回らず、こうした時代に我々医師はどう向かっていけばいいのか。結局は、地道に努力して真摯な医療を行い、患者さんの信頼を重ねていく、個人にできることはそれしかありません。ホワイト・カラー・エグゼンプション、そして高度プロフェッショナル制度という頭脳労働者の新たな働き方も提起されていますが、医師においてもこれが正しく使われるようになってほしいと思います。
当院はホスピタリティを大切にしておりますので、受付やパラメディカルスタッフは皆さんを「様」付けで呼ばせていただいておりますが、私自身は、ここに述べた考え方から基本的に「さん」を使っております。インフォームドコンセントのもと治療方針は共有するとしても、治療に於けるリーダーシップは専門家である医師が取るべきです。その際、「様」をつけて謙った立場でリーダーシップを取るのは、私の中では大きな矛盾なのです。また逆に、そうはいいながら、私はたぶん精神科医の中では患者さんとの距離を近めにとるタイプだと思うのですが、「様」をつけてしまうとその時点で距離ができてしまい、自分の思うような感覚で話ができない、ということもあるのです。このあたりは患者さんの側でも感じ方はいろいろではないかと思いますし、患者と医師の「相性」というのも、このあたりにもあるのかも知れません。
最後に、こちらは作曲者大野雄二のピアノ演奏で、ふたたび「炎のたからもの」をどうぞ。ではまた。

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