横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.422 エミュレーション

横浜院長の柏です。いろいろ追われていて、すっかり間があいてしまいました。なかなかまとまった文章を書くのが苦手なところがあって、X(旧ツイッター)の方をまめに書いておりますので、お急ぎの方は(そんな人いないか)こちらをご覧くださいね。

近況ですが、先週末は講演会が連チャンでした。土曜は杏林大学で行われた「発達障害シンポジウム2024 発達障害にどう向き合うべきか~社会と医療の交差点~」なるシンポジウムに、医療の立場から登壇させていただきました。日曜は東京都港区の企画「令和6年度発達支援講演会 基礎から学ぶ発達障害~子どもから大人まで~」として、大学同期でもある信州大学教授の本田秀夫先生とともに登壇いたしました。

どちらも、観客の皆さんの熱意が伝わる熱い一日となりました。ふだんは専門家向けに話すことが多いので、今後もこういう機会があれば積極的に手を上げていきたいと思いました。港区のものは後日動画配信されますので、その際にはまたお知らせしますね。

さて、そのように大人の発達障害のことに日々触れておりますが、最近のギョーカイの注目の一つに「カモフラージュ」の問題があります。これはNo.411でも少し触れましたが、発達特性のある人が無理に周囲に合わせようとする行動のことです。外国に出かけて、そこで無理に現地の風習に合わせて生活するようなものですね。短期滞在ならともかく、発達障害の場合は「定型発達者の国」に永住しているわけで、長期になるとどうしても無理が出てくるわけです。そんなことを考えているうちに、自分自身について、ふと感じたことについて今日は書いてみます。

No.401にも書きましたが、私自身の幼少時を振り返ってみるとかなりASDの要素が強かったと思います。ものへのこだわり、執着、間違いなく人よりものに気持ちが向かっていましたし、極端な不器用と運動音痴は間違いなくDCD(発達性協調運動障害)でしたね。それなのに今は精神科医として、毎日多くの人と向き合っている…うーんよく考えると不思議な気がいたします。まあしかし、職場と家を往復するだけで平日はどこにも行かないし、誰かと飲みに行くでもなくまっすぐ家に帰って仕事をしているか特撮見ているか、とプライベートでは人との関わりは最低限だなーと思うわけです。饒舌ではないですが決して人と話せないわけではなく、こだわりはあってもちゃんと自制できています(奥様に怒られるのでオタク趣味にお金は使えません(>_<))。そうか、私もカモフラージュしているのか、と思ったのですが、これを何十年も続けていますがそこまで無理がかかってるとか、さらには二次障害になるような感じはありません。基本的なマインドセットは変わってないはずなのに、障害になっていない(たぶん)のはなぜだろう…そう考えたときにはたとひらめきました。そうか、私はASDの上に定型発達をエミュレートしているんだな、と。

私も含め、パソコンでもMac使いの皆さんはときにWindowsでしか動かないアプリ(ソフト)のことで困りますよね(私のマカーぶりは年季が入っております。No.081あたりをご覧ください)。そんな時役に立つのがエミュレータ。Mac上でエミュレータを動かし、仮想Windows空間を作ってそこでWindowsアプリを動かすのです。さて、私がやっているのもこれじゃないかと思うわけなんです。ベースはASDなんだけど、子どもの頃からこうしたエミュレータを作り出し、仮想空間上で暮らすのがもう常態化しているんじゃないかな、というわけです。こうなるともうミイラ取りがミイラというか、本当の自分ってちょっとわからなくなるのかも知れません。「カモフラージュ」した先にそうした世界線があれば、良いか悪いかは置きますが定型社会ではなんとかやっていくことができるのではないか。さらに言えば、これは私だけの特殊なことではなくて、多くの人(精神科に現れない一般の方々)が実はやってきた道ではないのか。生き残るためのエミュレーションモード発動。みなさんはどう思いますか?

久々の今日の一曲は、昔懐かしきカルピス子ども劇場から「母をたずねて三千里」のオープニング、「草原のマルコ」です。1976年なので私が中2の時かな。坂田晃一の曲、大杉久美子の歌。カルピス子ども劇場の中でもピカイチの名曲をじっくりお聴きください。ではまた。

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