横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.420 逆転世界

横浜院長の柏です。このたび、X(Twitter)経由で親しくさせていただき、昨年の学会でもご登壇いただいた横道誠先生(マコトさん)@macoto_1が編集された「ニューロマイノリティ:発達障害の子どもたちを内側から理解する」に一章を書かせていただきました。「ニューロマイノリティ」とは神経学的少数派のことで、発達障害をはじめとするマイナーに属する人たち(種族)をさす言葉です。精神科医の立場から一章を書きましたが、2月13日発売のこの本については、また出版された際に改めてブログを書くとして、今日はマコトさんが最近、ニューロダイバーシティの旗手でこちらも同じくX経由で学会にもご登壇いただいた村中直人先生との共著で書かれた「海球小説:次世代の発達障害論」を読んで考えたことなどを書くことにします。なお、少々ネタバレを含みますので、先に本を読まれてから当ブログを読んでいただけるとなおよいことを、先にお伝えしておきますね。この本では、マコトさんが書く小説に、章ごとに村中先生が解説を入れるというユニークな形式で進んでいきます。謎が散りばめられたマコトさんの小説に、ニューロダイバーシティ/発達障害の観点から村中先生の解説が重なり、大変わかりやすく、また新たな視点からの発達障害論が展開されていきます。

さて、ブログでも何度もふれていると思いますが、精神科の病気ではどこからが病気か、その線を引くのはなかなか難しいところがあります。多くの精神障害のようにそれまでできていたことができなくなる、というのは過去の自分と現在の自分を比較すればいいので分かりやすいですが、発達障害みたいに生まれつきのものだと過去も現在も本質的には違いがないわけでして、どうしても他者とその方を比べてどこが違うか、という他者比較のステップが入り込んできます。そうなると、いったいどこまでが「正常」でどこからが「病気」か、とその線の引き方は何通りもありうるわけです。これは発達障害に限りませんが、DSMなどの診断基準が変わるとともに、病気の線の引き方も変わってきているのです。基本的には、とくに発達障害の場合、日常生活や学業、就労場面で病気(特性)と関連した困り事がどれくらいあるか、というプラクティカルな観点から線を決めているのが事実です。

ということは、その方が置かれている環境が変われば何が困りごとになるかも変わりうるわけでして、それは絶対的なものではないことになります。例えとして、原始狩猟社会のようなものを考えてみましょう。サバンナで、狩猟生活を送る男子のイメージです。ふだんは、ボーッとして過ごしていますが、いざ狩りの時間となると戦闘モードに切り替わり、すさまじい集中力を発揮します。動物と食うか食われるかといった狩りの場面では、敵=獲物のわずかな気配も見逃さず、また敵の動きを待っていてはやられてしまうので、まずは自分が先に動いて敵を仕留めに行きます。敵が逃げた場合は、深追いをすると敵の巣に入り込みやられてしまうリスクがあるので、そこはすぐに切り替えて次の獲物に目標を切り替えます。さて、こうした世界で必要とされる特性はどんなものでしょうか。ふだんは注意散漫(注意障害)で過ごすも、必要な際には過集中。どんどん動く(多動性)、行動が早すぎる(衝動性)くらいでちょうどよく、切り替えも早い(注意転導性の亢進)。そうです、これらは多動衝動性・注意障害とADHDそのものですよね。定型発達者のようにじっくり考えているとあっという間に敵に逃げられ、あるいは襲いかかられてしまいます。そうした社会では、ADHD特性を持った者のほうが生き残る確率が高く、ADHD関連遺伝子が自然淘汰により力を持ち、ひいてはADHDが多数派になることが予想されます。このあたりはNo.279「ハンターとファーマー」でも少し触れましたが、農耕社会が成立し、1年をかけて田畑を育てる時代となると、より我慢強く長期的な計画を立てて行動できる定型発達者のほうが有利となり、定型発達の遺伝子が自然淘汰により増えて現在に至るのではないでしょうか。

では、ASD遺伝子が優越性をもち自然淘汰にて生き残るような世界線はどうでしょうか。テレワークの普及、ネット上のコミュニケーションの一般化から、さらにはバーチャルリアリティの進歩などにより、仕事や生活の場がサイバー空間にも展開されつつあります。ASD当事者のコミュニケーションの場としてネット上のコミュニティが一定の役目を果たしています。今後は、サイバー空間を活用することでASD当事者がそのこだわりや視覚優位性など、特性を生かした仕事に従事することが期待され、それによって少なくとも定型発達者とのハンディキャップが減り、場合によっては優位に立つことも可能ではないかと私は考えています。現在の特例子会社のような消極的なものではなく、特性をより積極的に活かせるような職場環境の構築が望まれます(アメリカ・シリコンバレーなどでは先駆例がいろいろあるようです)。No.310No.344あたりでもこのテーマにふれていますのでご一読ください。

ともあれ、ASDやADHDは少数派、定型発達者が多数派というのが現在の状況です。では、ASDが多数派の世の中があるとしたら、それはどんな世の中なんだろうか…そうした知的興味をくすぐる意欲作が、冒頭でお話したマコトさん(横道誠先生)の「海球小説」です。超多筆作家であられるマコトさんならではの文芸作品に描かれた逆転世界を、ぜひ味わってみてください。

「海球小説」を読んで私が連想したのは、私が高校3年生、受験生のときに東京12チャンネル(現・テレビ東京)でやっていたアニメ・伝説巨神イデオンです。この物語は、地球人と、そのよく似た種族であるバッフ・クランとの戦いを描いています。バッフ・クランは地球人とよく似ていますが、みな左利きであるという設定になっています。ほら、この写真のドバ・アジバ(バッフ・クランの司令官)もレーザーサーベルを左手に持っていますね。右利きの皆さんは、突然左利きがフツーの社会に投げ出されたらどうなるでしょうか。ちょっと想像してみましょう。はさみとかカッターとか使いづらいし、字は右から左に書くので手が汚れるし、野球やろうにもグローブないし、自動改札は左側にあるので体をよじって通らなくちゃだし、外科医とか歯科医とかだと器具が左利き用しかないのでどひゃーだし、などなど、発達障害の困りごとに比べれば些細なことかも知れませんが、なかなかストレスになると思います。左利きの人の割合は大体10%内外と言われており、何らかの発達特性がある人の割合もそれくらい(本田秀夫先生)と言われていますので、対比としても悪くないように思われます。多数派と少数派の逆転世界。そうしたものに想像をふくらませるのは、ニューロダイバースな世の中を考える上で大切なことではないでしょうか。

さて、今日の一曲のコーナーです。せっかくですから、伝説巨神イデオンからエンディング・テーマ「コスモスに君と」にしましょう。受験生時代を思い出してちょっとセンチになってしまいますが、これはいい曲ですね。曲はすぎやまこういち、歌は戸田恵子。古き良き時代でした。ではまた。

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