デイケア便り

家族のこころ(第3回)

皆さん、こんにちは。池沢です。
今日(10月5日)は台風が近づいているということで、外は強い雨が降っていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。個人的な近況をお話ししておきますと、昨日車が納車されました!中古の車ですが、なかなか気に入っております。どこへドライブに行こうか楽しみにしています。是非オススメのスポットがあったら教えてください。
前回は”家族の思い”を大切にしているというお話しをしました。今回は「何故”家族の思い”にこだわるのか」という話をしていきたいと思います。何故そのような思いに至ったか2つのエピソードからお話ししていきたいと思います。
まずは個人的な体験から・・・私が大学受験の時に予備校から帰ってくると、母親が「お父さんがガンになった」と言いました。その時に「このまま大学受験はあきらめなければならないのか、父親が入院したり、亡くなったりしたら生活はどうなるのか、自分も働かなければならないのではないか・・・そもそも父親がガンなんて・・・」など色々なことが頭の中でグルグルと巡っていました。それと同時に「自分の生活が変わってしまうかもしれない」という不安や「受験をあきらめなければならないかもしれないこと」「父親が亡くなってしまうかもしれない」など考えもしなかったことへの恐怖が湧いてきました。両親は私に心配をかけまいと「大丈夫」と言ってくれて、治療もうまくいき、父親も今現在も元気で生活していますし、私自身も大学に進学し、このような仕事に携わることが出来ました。ここで思ったことは2つあり、1つは「大丈夫」と言ってくれて安心をしたということと、もう1つは私が感じた不安や恐怖は意外と話すことが出来なかったということです。確かに「大丈夫」と言ってくれて安心はしましたし、どのような経過をたどるのか分かったりもするので、その点には不安に感じなかったのですが、その話を聞いても私の「今後どうなってしまうのだろう」という思いは解消しなかったです(し、きっと話をしたとしても「大丈夫」と言われてしまうのだろうと思います)。
もう1つは、自分の家族が病気になってしまったというのを、「海に遭難した」というたとえ話で説明している家族支援に関する本を読んだことがありました。遭難した人は”この先どうなってしまうのか分からない”という不安に陥ると思うので、まずは身の安全が確保し、そこから今の状況や今後をどう乗り切るのかを考えるのだと思います。
家族が病気になってしまったというのも”この先(自分も家族も)どうなってしまうのか分からない”という感覚を持つと思います。その時に ”目の前のことはこういったことだ(病気に関する知識)” それに対して、”こうしたらいい” ”こうしたら助かる” ”こう考えたらいい”(という対処)を与えられるのも全く意味が無いわけではないですが、まずは家族として”思いを話してもらって、安心する”という感覚を持ってもらうことが必要ではないかと思います。それがあって初めて、現実に直面出来たり今後を考えたり出来るのかなと思うので、知識をいかしたり、アドバイスを受け入れたり出来るのではないかと思います。
 長くなりましたがそのような2つのエピソードから”思いを話す”が大切ということを感じました。もちろん2つのエピソードだけでなく、日々家族の方と接していても沢山のことを教えて頂く中で、”思いを話すことの重要性”を感じる場面は多いです。そのようなことも少しずつ書いていこうと思います。

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