横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.209 感情を捨てる

横浜院長の柏です。ニチアサ特撮タイムですが、エグゼイド、ゲームの世界という舞台に似合わずシリアスな展開で目が離せませんね。一方のキュウレンジャーの主役、シシレッドことラッキー。その「ポジティブシンキングが幸運をもたらす」というボスの一言は、認知行動療法に通じるものであります。やはり特撮は奥が深いですね。
hitorigoto-209a.png今日は、そんなキュウレンジャーの中の私が気になる一人、ヘビツカイシルバーことナーガ・レイのことを考えてみましょう。彼の出身、ヘビツカイ座星系では争いを避けるために種族全体で「感情」というものを捨てた、という設定になっています。彼はキュウレンジャーの仲間たちとの冒険の中で「感情」に興味をもち、それを学んでいくのです。
「争いを避けるために感情を捨てる」というのはなかなか奥の深い設定です。感情は、ヒトが動物の一種として生き延びていくために生み出されたものでしょう。危険や敵に遭遇したときには恐れることで危険を回避することにより、あるいは怒ることで敵を倒すことにより、自らの生き残りをはかる。一方で、配偶者と喜びあうことで種の存続をはかり、一方で仲間と喜びあうことでその社会を維持し、社会的動物としてのヒトの存続をはかる。感情は、種の存続にとって必要不可欠なものです。一方で、欲望や猜疑心、敵対心は争いを引き起こし、その社会の構成員、さらには種にとって危機的な状況を生み出します(これは、増えすぎた種を間引くための大自然の摂理なのかも知れませんが…ここのところの世界のきな臭さもこれと通じるのか…)。この危機を回避するために彼らの種族がとった選択が、感情を捨てること。そこにはどんな弊害、副作用があったのか、興味をもってナーガ・レイの今後を見ていきたいと思います。
またこの話からは、No.068でご紹介した、アフリカ・ハッザの人々のように平等が徹底されているとうつ病は発生しないという話が連想されます。戦後の近代社会はでは、自由競争社会、という名目のもと、アメリカン・ドリームに象徴されるように、努力をすれば誰でもリッチになれる、幸せになれる、というドグマがありました。しかし実態は異なり、さらに時代が進むごとに資本主義の矛盾は露呈し、貧富の差は進み、どの家に生まれたかで将来があらかた決まってしまう。名目と実態、名と実の差が明らかとなってきています。江戸時代は士農工商と明らかな格差社会でしたが、生まれた時点で努力しても身分が変わらないことが明らかなわけで、名実ともの格差社会でした。現在は、名は平等を謳いつつ実は格差社会という名と実の乖離が起きており、これが感情に影響し、うつ病の一因となっているのではないでしょうか。
うつ病は、喜怒哀楽でいうと軽症では哀(あるいは怒も)が強まりほかは低下しますが、重症になると喜怒哀楽のいずれも低下してしまいます。うれしくも悲しくもない、砂礫のような状態です。決して自ら感情を捨てたわけではありませんが、そうした状態になってしまいます。大変つらい状態です。ナーガ・レイの生き方からは考えさせられるものがありますが、一臨床医としてはやはり、感情を取り戻すお手伝いをしていくことに変わりはありません。
今日の一曲は、個人的な話で申し訳ありませんが、母親の◯寿の誕生日を祝して、母の好きなドヴォルザーク、交響曲第8番の第3楽章です。母の好きなカラヤンとウィーン・フィルの演奏でかけさせて下さい。全曲はこちらから聴けます。ではまた。

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