横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.223 AI精神医療

先週は名古屋の精神神経学会でADHDセッションのシンポジストとして登壇。昨日は横浜でADHDについて講演会。なんだか今年はADHDづいている、横浜院長の柏です。
ひつまぶしがうみゃーかった名古屋ですが、今年はあえて精神病理学的なテーマの演題にもいろいろ足を運んでみました。その中で考えたことを今日は書いてみましょう。
エビデンスを根拠にDSMに代表される操作的診断学が栄え、エビデンスが低いとされる個別症例研究がないがしろにされる、その延長にあるのは精神科医がAIに置き換わる時代だ。AIと臨床心理士がいれば精神科医療が成立し、精神科医は必要なくなる、と龍谷大の須賀英道先生が話されていました。
ここのところのAI(人工知能)の進歩はめざましく、将棋や囲碁は人間をはるか凌駕し(藤井君もAI相手に修行しているとか)、自動運転も視野に入っています。いずれ遠からず、「え、人が運転してるの?よくそんな危ない車乗れるね」「え、人が手術してるの?信じられない」といった会話がなされる時代になるでしょう。私が子供の頃いた切符切りのお兄さんは自動改札に変わり、証券会社でも伝説のディーラーでなくコンピューターが売買を行っているとか。うちの子どもたちの将来を考えるにあたっても、こうした世の中の大変革も考えておかなくてはいけないんですよね。
そうは言っても精神科医という商売は、医師がAIに置き換えられるとしても一番最後のはず、とこれまでは思っていたわけです。しかし学会のその場で私が思ったことは、精神科医はAIにおきかえられるべきではないか、ということでした。
エビデンスレベルを上げようとするほど実臨床から遠ざかる、このパラドックス(パラドックスといってもパーフェクトノックアウトじゃないよ…またライダーネタ失礼(汗))。しかしそれは人の目から見た線形科学の限界を示しているだけであって、診察場面でのあらゆる情報…会話内容、抑揚、表情分析、投薬の効果…をビッグデータとして集積していき、ディープラーニングによる解析を行っていけば、その人がどういう状態で、どういう治療が適切なのか瞬時に判断できるのではないか。「どういう状態」というのも、人為的に作られた診断学ではなく、ビッグデータから因子分析された新たなパラメーターにより表示されるのでしょう。精神科医による診療は、「脳が脳を知ることができるか」という根源的なパラドックス…おそらくはゲーデルの不完全性定理により否定される…を抱えています。AI対脳になれば、そのパラドックスを解くことができるのか。それとも、このレベルではむこう100年AIは脳に勝てないのか。私も、これまではAIは脳にはどうやっても勝てるわけがない、という考えでしたが、最近のAIの急激な進歩を見ていると、今後はICチップにおけるムーアの法則よろしく、加速度的に進むことが予想されると考えるようになりました。
ホリエモンは、料理人になるにも一流料理人について何年も修行するのはアホで、情報化社会では専門学校で半年学べば一流になれる時代だと書いています。われわれ精神科医がその役目をAIに譲る日も、意外と早いのかも知れない…そんなことを考えていた初夏の名古屋でした。
今日の一曲は、レスピーギ「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲より有名な「シチリアーナ」です。ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の演奏でどうぞ。

コメント

  1. 左から3番目のしろたん より:

    今、最先端の精神医学界では、そんなお話がされているのですね。。。
    少し悲しいです。。。
    あまり悪口はいけないのはわかってはいますが、、、
    私が柏先生の前に受診していた先生は、有名な先生みたいでしたが、有名すぎて本来の患者の診察が愚かになっている感じで、診察中もパソコンから目を離さず話を聴いてもらっている感覚がなかったです。。。
    精神科で、『話を聴いてもらっている感じ』を大事に思う患者さんは私だけじゃないと思います。
    データを蓄積することには限界があっても、
    本当の最後の最後、心や感情を理解して癒せるのは、やはり人間だと思います。
    いくら優れていても、人工的な知能ですから。。。
    頼りにしてますよ、柏先生!

  2. いちご大福 より:

    先生、こちらではお久しぶりです
    講演など忙しそうですね待合室もいっぱいで大変そうでしたね・・汗
    なんというか・・いつも手を煩わせてすみません・・
    気になる内容でしたので少し出現してみました。
    この話・・私は映画ドラえもん、ブリキのラビリンスを思い出しました笑
    ・・AIですか・・・うーん
    私は診察室入ってAIに『この数週間どうでしたか?』と聞かれるのも・・うーん・・という感覚です・・
    先生だから話せることって多いと思うんです・・すんごい甘えてるんですが・・
    病気にもよるかもしれませんが人が絡んで受けた傷は人との関わりでなきゃ癒せない
    ことも・・あるような・・気がします・・
    癒すだけでなく対処方法も・・機械に言われるより人に言われるほうが私はいいな・・・
    と思います。心のある機械って将来できるのでしょうかね??
    機械は精密で正確かつスピーディーですが・・
    ・・少し論点がズレてる気もしなくも無いですが・・・少し気になる内容だったのでお邪魔しました。(´▽`;)

  3. 横浜院長 より:

    しろたんさん、いちご大福さん
    コメント、また温かいエールをありがとうございます。
    ブリキのラビリンスは知りませんでした。
    まあ、学会で出た話ではありますが、もちろん皆がそう思っているわけではなく、精神病理学の衰退の危機を感じた先生がそうお話された、ということであります。
    極論でいえば、
    オペは完璧だが話を聞かない外科医と
    オペは下手だが話はよく聞いてくれる外科医と
    どっちに手術を頼むかという話と本質的には同じでありまして
    もちろん精神科の性質上治療関係はとても大切で、話を聞く力は必要なのですが、それは必要条件ではありえても十分条件ではないのです。
    的確に病状を見抜き、薬物療法、精神療法、生活の工夫、家族や職場、福祉との連携などタイムリーな手を打てる能力が必要なのです。このあたりは、ビッグデータからAIが一日の長を得る日が来るのではないか、まだまだ研鑽しないと、いずれAIと臨床心理士(お話はこちらが伺うわけです)に取って代わられちゃうぞー、という自己への戒めなわけです。