横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.339 まなざし

横浜院長の柏です。今年のハロウィンは土曜日、世の中は自粛ムードでしたが、すみません私は例年通り(診察室だけですし、感染対策やってますんでお許しくだせー、お代官様)仮装して診療に臨ませていただきました。今年はちょっと奮発して、漢(おとこ)なら一度はやってみたい赤い彗星、シャア・アズナブルです。驚かせてしまった来院者の皆様、すみませんでした。お楽しみいただけたなら幸いでした。
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さて、前回予告しましたとおり、今回から数回に分けて発達障害の成り立ちについてまとめてお話しましょう。これまで、断片的にはお話してきたかと思うのですが、今の時点で私が考えていることをある程度しっかり書いていきたいと思います。あくまでも私が個人的に考えていることであり、医学的なエビデンスに基づく話ではないことを最初にお断りしておきます。今日は、自閉スペクトラム症(ASD)の成り立ちについてです。
ASDと一言で言っても、小さい頃から気づかれている自閉症の方から、大人になってはじめて実際に困りごとに遭遇する方まで、十人十色、質的にも量的にも様々です。それでも、根底に流れているものはみな同じ。一般に診断基準では、社会コミュニケーションの障害(空気が読めない、コミュニケーションが円滑にはかれない)、独特のこだわりや常同行動、感覚過敏などが挙げられており、それは診断から治療に至るプロセスのためには欠かすことのできないものです。ただ、今日は診断基準ではなく、そのさらに根底に流れている彼ら・彼女らの特性の本質について考えてみましょう。そう、説明書ではなく設計図を探す旅に出かけてみましょう。
ASDのSはスペクトラムのS。自閉特性が強い人から弱い人まで、様々な色合いの方々が含まれるのがASDです。その一番色が濃いのが自閉症ですが、自閉症のお子さんの特徴としてまず気づかれるのは、目が、視線があわないことです。私も研修医の頃に東大病院の精神神経科・小児部デイケアで自閉症のお子さん達のグループに入ったことがありましたが、その時一番驚いたのがこのことでした。多動なことよりも、奇声を上げていることよりも、この「視線があわない」というのはなかなか衝撃的でした。なにか、こちらが人間として見られていないような、そんな感覚に襲われたひとときだったのです。
視線があわない、とはどういうことでしょうか。視線があうとは、お互いの視線が一致すること。つまり、自分の見ている先が相手の目であり、同時に相手が自分の目を見ていることを直観的に認識すること。このことにより、自分以外の、自分と同じ「人間」がいることにはじめて本質的に気づくことができるのです。生まれてきた赤ちゃんは、自分の目で見ることで自分が生まれてきたこの世の中を認識します。この、自分の目だけで見た世界は他の人間の影響を全く受けない、きわめて純粋な「自分が見たままの」世界です。そのように生まれた赤ちゃんが、目が見えるようになって最初に気づくのが、母親から自分に向けられている「まなざし」です。動物の場合、最初に見たものを母親と思う、というインプリンティングと呼ばれるものが知られていますが、人間の場合はちょっと違うようです。インプリンティングは視線が自分から母親に向いて言いますが、「まなざし」は最初、母親から自分に向いているのです。このまなざしに気づいた赤ちゃんは、そのことにより「自分以外にも人間がいて、その人間から見ている別の世界がある」ということを本能的に理解する(ビビビッとくる(^_^;)のです。自分の視線が向いているベクトルだけではなく、他者の視線のベクトルがあり、さらに複数の人々の視線のベクトルが交わって人間の世の中が成り立っていること。一方向でなく双方向、多方向に、視線にはじまる各々の人間の想いが、思考が、感情が交わりあうのが実社会です。われわれが人と接する時、その人が何を考えているのか、その人は今の状況を、そして世界をどのように見ているのか、そういうことを想像しながらコミュニケーションをはかります。別々の世界観をすりあわせていく…それが現実社会でのコミュニケーションの本質といってもいいでしょう。
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ASDの赤ちゃんの場合、この最初の母親からの視線に気づけない、あるいは気づくのが遅れるようです。母親の視線、そして「目」のむこうに母親の見る世界がある、そのことに気づけないと「目」はただの「目」、顔の一部にすぎません。目と目があうためには、相手のそれが世界に向いた窓だという認識が必要です。なので、目も鼻も耳も、ひいては人間も「もの」も本質的な違いがない、という形で世の中を認識します。母親も、そこにある椅子も机も、みな同格。定型発達者が、自分に見える景色の中で人間をとくに抽出しているのに対して、彼らはそれをせず、自分が見たままに世の中を見ています。視線があわない、その背後にあるこうした本質的な違い、それがこの後のASDの方々の特性を大きく決定づけることになるのです。次回に続きます。
注:今回の内容のエッセンスは、No.216でご紹介した内海健先生(大学の先輩にあたります)の著作にもとづくものです。
今日の一曲。筒美京平先生が亡くなりました。筒美京平といえばブルー・ライト・ヨコハマだねぇ、とわが家で会話していると、そんなの知らないというのがわが家で唯一、横浜生まれの次男坊(高1)。そんなはずあるか、と歌って聞かせると、「あー京急のうたね。」うーん、彼の中ではこの曲は京急横浜駅のテーマソングだったようです(^_^;; 実況中継でお聞き下さい。ホームドアつく前の映像ですね。ではまた。

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