横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.399 変換症、作為症、詐病

横浜院長の柏です。いろいろ追われていてなかなかブログが書けずご無沙汰しております。次回がなんと記念すべき400回目になるのですが、何を書こうかまだ決めかねております(汗)。今回はその前座となる第399回目ですが、ちょっと毛色の変わった3兄弟をご紹介しましょう。それらは変換症、作為症、詐病の3兄弟ですが、皆さんそんな病名知っていますか?詐病はまあわかりますよね。詐は詐欺(さぎ)の「さ」で、偽る、だますことを言いますね。詐病(さびょう)とは、一般的には「病気ではないのに病気のふりをすること」ですよね。それは間違ってはいないのですが、精神医学用語としては実はもう少し踏み込んで定義する必要があります。それはこのあとでお話することにしましょう。
さて、身体的にはなんの病気もないのに体調が悪くなることは、実はよくあります。こころとからだは表裏一体の関係にあり、神経系と免疫系、内分泌系などとの深い関わりも解明されつつあります。腰痛はありふれた疾患ですが、椎間板ヘルニアや脊椎間狭窄症など、はっきり原因が特定できるものは数割にとどまっているとか。ほかは整形外科的には原因不明でして、その中には心理的要素が深く関わっているものも多く含まれているようです。病院によっては、腰痛外来に精神科医が常駐しているところもあるやに聞いたこともあるくらいですね。
「心療内科」という言葉があります。この言葉は現状、複数の意味合いで使われています。狭義の定義、本来の心療内科は、ストレスが身体に引き起こしている疾患、すなわち心身症を扱う科でして、喘息や過敏性腸症候群などを中心に、しかし生活習慣病などまで幅広く病気を扱いますが、あくまでも「内科」です。実は当院も「心療内科」を名乗っておりますが、こちらは実は広義の定義でいうところの心療内科となりまして、その実態は精神科です(当然ながら、私は内科医ではなくて精神科医です)。このあたりは私個人ではなく法人の方針なので、ご了解くださいね。
心身症はあくまでも身体疾患が実際に存在し、それに心理的要因が大きく関わっているものを言いますが、実際には身体疾患が存在しないのに身体に不調をきたすものがあり、これはDSM-5では身体症状症(DSM-IVまでは身体表現性障害)と呼ばれます。そのうち、動きや感覚、すなわち神経の働きと直接関係するところに障害が生じるものは変換症(DSM-IVまでは転換性障害)と呼ばれます。突然歩けなくなる、麻痺が生じる、震える、てんかんのような発作が起きるといったものから、目が見えなくなる、感覚が鈍くなるものまで様々な症状が生じますが、これも神経伝達自体は正常で、心理的要因によるものがそう呼ばれます。DSM-IVでは、痛みの形で現れる疼痛性障害という項目があったのですが、DSM-5では身体症状症の中の一カテゴリーに格下げ?されています。
ここで注意しないといけないのは、では身体症状症や変換症などは心理的要因があるというならば、それは気持ちの問題であって根性が足りないとか、または症状を捏造しているのではないか、と誤解される可能性がある、いや実際されていることです。
身体症状症/変換症に関しては、本人は病気を偽る意志はなく、本人自身が起きている症状に翻弄され、困っているのが実態です。周囲からみると都合がいい時に症状が出る(それで結果的にいやな仕事をパスするなど)ということもありえますが、詐病との違いは本人がそれを意識していないという点なのです。そもそもストレス反応は複雑な神経・免疫系などのメカニズムの上に成り立っており、そこまで考えると身体に問題がまったくないとは言えません。疼痛性障害を中心に、このあたりの症候群には抗うつ薬が効くケースもありますし、ストレスに対する身体反応の一つの形とも捉えうるのです。筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)や線維筋痛症といった疾患についても、原因はまだわかっておりませんが、脳内の免疫系の変化や炎症などの関与がしめされつつあります。
ちょっと話がそれましたが、変換症(体が動かないなど)や身体症状症(体のどこかに不調感があるなど)は、意識的に(わざと)やっているのではなく、心理的要因が無意識レベルに作用して症状を引き起こしていますのです。それに対して、意識的に(わざと)やっている場合も当然あるわけでして、それが作為症と詐病です。以下、この2つの区別についてお話します。
作為症は、DSM-Ⅳまでは虚偽性障害と呼ばれていたもので、ミュンヒハウゼン症候群とも呼ばれます。ほらふき男爵として有名であったミュンヒハウゼン伯爵の名を冠したこの障害は、自分が病気であるように演じる、病者のふりをするのがその特徴です。病気であることによって周囲の関心をひく、同情を集める、などがその背景にあると考えられますが、基本的に「病気であること」そのものが目的となっているのが作為症です。変換症とは異なり、本人はわざとやっていることを理解しています。中には「代理ミュンヒハウゼン症候群」と呼ばれる、自分に親しい別の人間が病気であることを目的とするものもあります。その多くは自分の子どもを病気に仕立て上げます。子どもに毒となるものをのませたり、入院したらこっそり点滴を止めたり毒物を追加したりします。こうなるともう立派な虐待行為と言えますね。
最後は詐病です。作為症が病気であることそのものを目的とするのに対して、詐病の場合は立派な外因があります。外因とは、兵役から逃れるため、仕事から逃れるため、補償金を得るため、刑事訴追から逃れるため、薬物を手に入れるため、などです。そういえば某隣国では予備役を逃れるためにわざと腕の骨を骨折させる、などという話もありましたね(これは詐病というよりは作られた外傷ということですが)。法医学的状況での受診、その者の主張するストレスまたは能力障害と客観的所見に著しい差異がある、診断評価への非協力、処方された治療処置を守らない、反社会的パーソナリティなどが存在する場合には、治療者は詐病の可能性を考えておく必要があります。
まとめますと、「足が立たず動けない」という人が来た場合、整形外科的・神経内科的に異常が認められないとすると、
・無意識レベルでの心理的要因による:変換症
・病気であることが目的:作為症
・保険金が下りることが目的:詐病
ということになります。実際には、なかなか鑑別が難しいこともありますね。
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先週は、天気がいいので久々に鎌倉の山を登り、やぐら巡りをして来ました。北鎌倉駅で下車し、建長寺の裏山の長い石段を登り(日頃の運動不足で、息が切れて途中もう無理かと思いました…)、百八やぐらと呼ばれる無数のやぐら群に到達。その後は市街地方面へ南下し、鎌倉殿ファンとしてミーハーに源頼朝、北条義時の墓所を詣でて鎌倉駅へ出る徒歩約2時間のルートでした。ここのところ心地よい青天が続きます。皆さんもぜひ、自然にふれる機会を作ってみてください。
今日の一曲は、私の大好きな大塚博堂の一曲「旅でもしようか」です。小学校の頃かな、NHKで18:59か19:59か(うろ覚え)からの1分CMでもかかっていた記憶がある方もあるのでは。皆さんも小さな旅に出ましょう!ではまた。

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