横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.407 抽象的態度

横浜院長の柏です。先週後半は、精神科医にとって国内最大の祭典、日本精神神経学会学術集会のためお休みをいただきました。今年は地元横浜開催、出番は座長だけ、ということもあって、例年の非日常感に乏しい会でしたが、しっかり勉強して参りました。今回も発達障害や進化精神医学など、最近の関心領域中心に聞いて回りましたが、今日はそこから一つご紹介しましょう。

シンポジウム38「自閉スペクトラム症の特性とは何か」の中で、小石川東京病因の丹治和世先生がご紹介された、「抽象的態度」についてです。これを、ご発表でも紹介されたAlbany State UniversityのP. Whitehead博士の論文1)をもとに読み解いてみましょう。

抽象的態度、およびその対義語である具体的態度とは、ドイツの神経精神科医クルト・ゴールドスタイン(1887-1965)が、脳損傷、前頭葉切除、精神病における重度の行動障害を説明するために開発した概念で、物事をどのように認知・理解するかを示す態度のことです(1941)。

彼によると、具体的態度とは「与えられた事物や状況をその特殊な独自性において即座に理解することに限定される」態度であり、一方の抽象的態度は「意識的で自発的であり、とりわけ<外界や内的経験から離れ、観念的に前もって計画を立てる>ことを伴う」態度とのこと。具体的な態度では人は環境に縛られるが、抽象的な態度では人は自分の経験をあたかも外から見ているように見ることができ、それについて評価したり推論したりできる。ゴールドスタインは、抽象的な態度の発達は、人間を人間らしくするために重要な結果をもたらすと考えていました1)。

わかりやすく言うと、具体的態度は目の前のものをそのまま、何ら解釈することなく受け入れる態度。抽象的態度は、目の前のものをこれまでの経験に照らして分析し、そこに他の類似の対象と併せ持っている共通の性質を見ようとする態度、と言えるでしょう。

前述のように、この抽象的態度は後天的な脳損傷などで認められることが知られているわけですが、1943年にレオ・カナーが自閉症を記述し、それが先天的なものと説明すると、1945年にゴールドスタインらはそれ(自閉症の状態像)を抽象的態度の喪失である、として、先天的なものではなく後天的な獲得がうまくいかない状態である、と反論しました。この指摘はその後あまり日の目を見ることなく時が経ち、先の論文(2020年)で再度スポットライトが当たったというところでしょうか。

脳損傷の人に見られる症状に、色相分類ができない、というものがあります。どういうことかというと、例えば「黄色」と言ってもレモン色のような薄い黄色から山吹色のような濃い黄色まで、いろいろな黄色がありますね。赤も緑も青もそうです。色相分類に障害があると、例えば山吹色とレモン色を同じ「黄色」というカテゴリーに入れることが難しくなります。学会では、ディスプレイ上の色とプリンタに出力された色が異なることでパニックになるASDの方の例が紹介されていましたが、これぞまさに色相分類の困難ですね。通販などでもそうですが、ディスプレイやカタログ上の色と実際の色合いが若干違うことは普通にあることで、ありゃーと言いながらもこれは仕方ないこととしてみな許容しています。しかし、色相分類の障害=抽象的態度の障害があると、これらがまるで別物となってしまい(共通点の抽出ができない)、多数派の人たちにつけられる区別がつけられないために混乱が生じるわけです。

このように似ているが違う状況に対して、類似点を探し出して応用することが困難である(カテゴリー化の困難)と、日常生活の様々な場面で困難が生じます。勉強では前提条件がちょっと変わると対応できず(応用問題が解けず)、仕事の場面でも、同じ仕事内容でも少し状況が変わるとまるで別物と認識してしまい、まったくできない、ということが起こります。「応用が効かない」ということですね。このあたりは人によって程度が異なり、一つ一つはそんなに目立たないがいろいろな場面で困難が生じ、足し算でしんどくなってしまう人もいます。

この抽象的態度と具体的態度(目の前のものをあるがままに受け入れる)とは、みんなどちらもあるが、通常は状況に応じてそれらを上手に使い分けるこことができる、それが上手くできないのが脳損傷やASDなどということになります。これらは、本質的な意味でどちらが正しい正しくないということではありません。具体的態度に徹するということは、世の中をあるがままにまっすぐに見ているということ。No.384にも書きましたが、ASDでは母親の視線をうまくキャッチできず、他者を真似るということなくきわめてピュアに世の中を見ながら成長します。この、あるがままの視線が具体的態度につながっていると考えると、抽象的態度の困難も説明がつくように思われます。

梅雨と言いつつ相変わらずの天候の変化。ご体調にはくれぐれもお気をつけ下さい。梅雨にちなんで、今日の一曲はブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調「雨の歌」です。ダヴィット・オイストラフのヴァイオリン、レフ・オボーリンのピアノ、1957年の録音でどうぞ。ではまた。

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