横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.411 通訳者・解説者

横浜院長の柏です。6月ですからもう先々月のことですが、私がかつて勤めた滋賀医大で行われた「令和5年度 神経発達症・児童思春期医療研修会」(web研修会)に講師として呼ばれ、「おとなの発達障害徒然」というタイトルで質疑応答含めて2時間、じっくり話してきました。その日の午前中には、大阪で精力的に当事者・支援者活動をされており、以前より親しくさせていただいているNPO法人DDAC(発達障害をもつ大人の会)の広野ゆいさん(過去ブログでもご紹介しました)が、こちらも2時間話され、とても充実した一日を過ごすことができました。2時間(私の講演は1時間半+質疑応答30分)あったので、これまでこのブログで大人の発達障害についてお話してきたようなことも含め、多くの話題をてんこ盛りでお届けしました。実は今週、これは医療関係者限定ではあるのですが、8月1日から8日12時までの間だけ、この時のweb研修会をびわころネット上で見られる夏休み企画となっております。全員にお届けできず申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。というわけで、今日はこの時の話から一つ話題を提供することにします。

現在諸般の事情でお休みしていますが、以前当院ではサタデークラブという名前の成人ASDグループ(ショートケア)を行っていました。以前ブログでもご紹介しましたね(こことかこことか)大人のASD(自閉スペクトラム症)の方々、最大9名に集まっていただき、前半はSST(生活技能訓練)を中心に治療者がリードして行うプログラム、後半はフリーディスカッションを中心に当事者主導(を目指す)プログラムが組まれていました。この分野のパイオニアであり、現在も精力的に複数グループの運営をされている昭和大学烏山病院のスタッフ直々の指導を受け、体制を整えてのスタートです。グループ運営を始める前、われわれスタッフの間では本当にASDの方々のグループが成り立つのか?とくに、フリーディスカッションなど企画しても誰も話さなかったらどうするのか?という疑問について真面目に話し合ったものです。メンバーになる患者さんたちは、主治医の前でも担当ワーカーの前でも、自分語りはできても治療者との間でのコミュニケーションには困難を抱えていたからです。ところが、いざフタを開けてみると…グループの中では皆さんよく話すこと話すこと。みなさんが笑顔で話し合う姿を見て、スタッフ一同安堵したものでした。ASDの主要症状として「社会コミュニケーションの障害」というものがあります。会話、あるいは言外のコミュニケーションにおいて、相手の意図をうまく捉えられず、また自分の意志をうまく伝えられない…この用語にはそうしたイメージが強くあります。しかし、サタデークラブでは皆さんが水を得た魚のようにスムーズに話しています。これはなんだろう?ご本人たちから聞く限り、会社や学校でもコミュニケーションでは苦労が絶えないと聞いています。ということは、ASD同士というメンバー構成が効いていることになりますよね。最初、これはASDという仲間同士という安心感が大きいから、と考えました。定型発達者が大多数を占める日常場面では、多数に合わせようと無理をしてしまいます。本来の姿ではなく、周囲に合わせて自分の性質を変えることを擬態Camouflage(カムフラージュ、あるいはカモフラージュ)といいます。カメレオンみたいなものですね。ASD同士の場合、擬態する必要がなくなり安心できるのではないか、そう考えたわけです。しかし、これはただの安心感だけの為せる技なのか?いや、同じ(似た)特性を持つもの同士だからこそ波長が合い、スムーズな会話になるのではないか…普段の診察室での患者さんたちの様子との明らかな違いからは、そんなことを思わざるを得ない状況が目の前に展開されていました。

つまり、ASDの特性は「社会コミュニケーションの障害」ではなく、実は彼らなりの「社会コミュニケーションのパターン」があり、それが「特性」という言葉に集約されているだけなのです。ASDは少数派、定型発達者が多数派であるために定型によるコミュニケーションの方式がフツー、当たり前とされるわけですが、これは数の論理に過ぎないわけです。定型発達者同士が通常行っている空気を読むやりとり、阿吽の呼吸…これらは、実は明言化されていない事柄なので、よく考えればそんなのわからないのは当たり前であり、定型発達者はそのコミュニケーションにおいて相当に危うい橋を渡っているわけです。主語述語が明確になった文章でないと理解できないASD方式は、実は語学的にはこちらの方が正しい(という言い方が正しいかよくわかりませんが)と言えるでしょう。そんな曖昧模糊としたコミュニケーションが成り立つのは、定型発達者が言葉を覚えてから今日までにそうしたやり方を共通認識として積み上げてきたからなのですが、それが困難な人たちもいるわけです。これは文化の違いであり、本田秀夫先生の言葉を借りるなら種族の違いとも言えるものです。

文化の違い、種族の違いを乗り越えることは、お互いの文化について、種族についてよく知ることからはじまります。お互いに、とは言いますが、その内容および人数差により現状は圧倒的にASD者に不利となっており、いかに定型発達者がASD者のコミュニケーションを理解し、歩み寄るかが肝となります。そのためには、まずわれわれのような支援者、そして家族・友人や周囲の人たちが、両文化間交流に努め、ASD者に理解できるように通訳し、解説することが必要でしょう。優秀な通訳者がいると疎通性がぐっと高くなります。野球中継でも、優秀な解説者がいるとゲームがぐっと面白く見えてきます。これまで見えなかったところが見えるようになる、それが通訳者や解説者の有り難さでしょう。然る後には、異文化があることを定型発達者皆が知り、異文化間コミュニケーションが普通にできるような世の中を作っていきたい。最近、LGBTの領域ではこうしたことが先駆的に行われるようになってきました。これまで私も含めて多数派の性指向を持つ人達には常識だったことが覆りつつあります。ニューロマイノリティ(神経少数派)の文化もLGBTのように広く知られるよう、私もその一助となれるよう精進していきたいと考えております。

35℃レベルが一週間以上続くなんて、横浜史上でも類を見ない事態と思います。温暖化が進むと毎年こうなるんですかね?困ったものです。真夏のひととき、今日の一曲はモーツァルトです。どうやらブログを400回以上やっててまだ彼の交響曲を一度もやっていないらしいという非常事態に気づきました。まずはもっとも有名な交響曲第40番ト短調K.550を、小泉和裕指揮、われらが神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏でどうぞ。ではまた。

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