横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.085 うつ病の変化と反知性主義

横浜院長の柏です。オリンピック終わりましたが、フィギュアスケートは音楽との組み合わせの妙が醍醐味でしたね。真央ちゃんのラフマニノフも感動ものでしたが、金メダル・ソトニコワのサンサーンス、序奏とロンド・カプリチオーソは名曲中の名曲。この曲を弾かせたらアルテュール・グリュミオーの右に出るものはありません。迫真の演奏をぜひどうぞ。
さて、今日はちょっとお堅い内容です。19日の朝日新聞に、『「反知性主義」への警鐘』なるコラムが掲載されました。佐藤優、内田樹、竹内洋といった方々の論を紹介しています。「嫌中」「憎韓」といったナショナリズム、橋下現象に代表されるポピュリズム、こうした現象の背景にあるのが「反知性主義」だというのです。佐藤氏はこれを「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と定義し、「新しい知見や他者との関係性を直視しながら自身と世界を見直していく作業」を拒み、「自分に都合のよい物語」の中に閉じこもる姿勢であるとする。閉じこもるだけならまだよいが、その物語を使う者がときに「他者へ何らかの行動を強要する」場合、それは問題になるわけであり、新・帝国主義の世界の空気感として佐藤氏は捉えているようです。
さて、うつ病の病態が時代とともに変わってきているのはすでに言い古されていることではありますが、たしかに私が精神科医になってからの四半世紀で大きな変化が起こってきています。かつてはうつ病といえばメランコリー、すなわちどんなに楽しいことがあっても続く憂うつ感と悲哀、自責感、日内変動(朝悪く夜は良い)といったタイプが典型でした。気質的には真面目で一生懸命、高度成長期を支えてきた方々のイメージです。しかし最近増えてきているいわゆる「新型うつ病」では、状況反応性の抑うつ症状(会社では明らかなうつ状態だが休日は元気)、他罰的(人のせい)といった特徴があります。(注:「新型うつ病」とカッコをつけているのは、精神医学的なカテゴリーではなく一般用語だからです。DSM-5では「非定型の特徴」を伴ううつ病、というカテゴリーが近いですが、これははるかに基準が厳しく、世にいう「新型うつ病」のかなりはDSMを厳密に適用する私の診断ではうつ病ではなく「適応障害」になります。いずれ詳しく書きます。)
こうしたメランコリー型うつ病から「新型うつ病」(適応障害)への変化については、様々な考察がなされています。労働構造・労働内容の変化、家庭構造の変化、電化IT化の影響などいろいろな背景があるでしょう。ここでとくに「自責的」→「他罰的」という変化の背景を考えたとき、上の「反知性主義」の論はひとつの大切な視点を与えてくれるのではないでしょうか。知性が重視された時代には、実証性、客観性を重んじ、問題が起こっても物事を分析し、正しく対処する方法を模索することが普通のことでした。一部の人が、その過程で内省の方向に行きすぎ、自責の念にかられうつ病を発症したのです。今はどうでしょうか。日常生活を送っていれば、問題がおこるのは普通のことです。これを客観的、実証的に分析することを回避し、自分の都合のよい面だけに目を向け(あるいは意識的か無意識的か自分の都合の悪い面を見ず)、責任を自分の外に置いてしまう。これはとても残念なことです。
では、こうした他罰性を特徴とする適応障害へはどういう処方箋が必要でしょうか。まずは自責であれ他罰であれ、こころが消耗している時はそこの手当てをします。必要であれば休息も薬物療法も厭いません。しかし、こうした稚拙な問題解決技術のままでは再発再燃の可能性が十分あるわけです。客観的、実証的なものの見方、考え方のトレーニングが必要です。専門的には認知行動療法も力になりますが、日頃からバイアスの少ない、より正しい知識をより分けて吸収する力をつけなくてはなりません。何でもネット検索ですませているようではその力はつきません。ネットの情報は、書き手による「自分に都合のよい物語」の宝庫です(もちろん、この文章もそうです)。論文のように査読も検証もない文章が数多く並んでいるのです。その中から、とくに読み手に都合のよい物語だけを集めてくることは容易なことです。やはり、子どもの頃からの勉強習慣がここでも大切になると私は思います。
hitori85-a.jpgこうして考えると、「根拠のない想像は出来ない」これは明言ですね。えっ知らない?だめですねぇ。今週のトッキュウ4号の名言ですよ。トッキュウジャー、毎週ちゃんと見ないと深遠な私のブログについて来れませんよ(笑)。なんと、オープニングにゆめが丘駅が出てきます。相鉄沿線住民としては嬉しい限りですね。ではまた。

コメント

  1. パパケーナ より:

    アルテュール・グリュミオーの演奏紹介、
    ありがとうございました。本当に素晴らしかったです。
    パールマン一筋30年のワタクシに
    この演奏はリスナーの大きな楽しみを
    また一つ教えてくれるものでした。
    しかし、なんと言ったら良いのか
    自分でもうまく表現できませんが
    柏先生の感性のバランスの良さは
    スゴイですね。ワタクはシクルクルと
    舌を巻きっぱなしです。
    グンマーの誇りでございます!!
    (ワタクシも親戚筋がグンマに渦巻く、
    元を正せばグンマーの端くれ。)
    追伸:猛烈に好きな黒沢映画“用心棒”の
    舞台が上州。。というだけでもとても誇らしい
    気持ちなのはワタクシだけでしょうか(笑)

  2. まねきねこ より:

    私も、「新型うつ」という言葉に疑問を持つ一人です。新型と言えば、インフルエンザウイルスみたいに病源が進化するわけで、うつ病が進化するというより、精神科医療の進歩でわからなかったことが明らかになってきただけのことではないかと思います。まあ、自分の場合、うつの症状が繰り返す中で、なぜ自分は精いっぱい努力しているのに悪い方へ行ってしまうのだろう?という負のスパイラルにはまってしまったというパターンがありました。人間には防衛本能があるので、自責の念からも逃れなければという働きが出現するのかなとも思います。そうでなければ、自殺してしまいます。
     「反知性主義」にしても、日本の若い人が中国や韓国に対して今までとは違った感情を持つようになったのも、日本がこんなに頭を下げて努力を重ねてきたのに、中国や韓国は聞く耳を持たないで、日本を責めてばかりいる、と思い、虚しさを通り越して憤りを感じていることに懸念が持たれます。自分も、中国や韓国に対して、多少のもどかしさも感じます。韓流ブームとか、日本人は結構韓国を好きになっていましたから。あと一歩だと思っていましたが、その一歩は埋まらぬ一歩だったのかと、思います。
     賽の河原の石積みって、実はこの世のことではないか?と考えたりもします。「地獄も一定住処ぞかし」とは、よくもいったものです。その過酷な旅の途中に、小さな花一輪を見つけたら幸せなのかもしれませんが、病気の人にそんな残酷なことは言えませんし。何が言いたいかと言うと、他罰的な思考に陥ってしまった人を悪く思わないでほしいというわけです。思いつめてそう追い込まれてしまったわけで。なんだか親鸞の「悪人正機説」をもう一度ちゃんと読みたくなりました。う~ん、図書館にねこまっしぐら!

  3. 匿名 より:

    皆さんのコメントすごいですねぇ。大学の論文みたい。今日はひな祭りだし、私はちらし寿司食べて,ひな祭りケーキ食べて,のんびり先生のブログ楽しんでます。

  4. 横浜院長 より:

    パパゲーナさん
    グリュミオー、気に入っていただいてよかったです。
    パールマンの演奏はパーフェクトなのですが、ひねくれ者の私は枯れた音色のメニューインが一番のお気に入りです。でもこの曲だけは一度聞いたが最後、グリュミオー一筋なのです。ピアノもルビンシュタインよりホロヴィッツ、常に斜めから入ります(^_^;
    しかしS女史をご存じとは・・・むむむどなたでしょう?実はここの皆様、誰がどなたか全然わからなくて・・・まあでもそれもよし、ですよね。
    ディートのサインをもらったのは私ではありません。もっと素敵な先生がいたのでしょうね。ちょっと悔しかったりして(^_^;
    まねきねこさん
    そうですね。他罰的となるのも、一時的とはいえ身を守るための防衛本能。そのこと自体は必要なことで、大切なことですね。そうやって危機を乗り越えつつ、次の危機を起こさないために知性主義を生かしていただきたい、と切に思います。

  5. パパゲーナ より:

    こんにちは。いつも院長の余談に喰いついてしまう、パパゲーナでございます。
    。。。すみません、すっかっり院長先生がフィッシャーディースカウの筆跡をお持ちなのかと、“極度にうらやましい妄想”に走っておりました(笑)
    30年間パールマン一筋。。。と書きましたが、実は違いました。。。
    ハイフェッツ、エネスコ、メニューイン、ジャンルは違いますがジャンゴ・ラインハルトが好きな為、ステファン・グラッペリには相当お世話になりました(笑)音源はSPレコードでしたので、楽器の音色がリアルで臨場感が大きいかったですね。(ボリュームの調整ができないので最近は蓄音機をかけることも少なくなりましたが)
    カイザー・メニューインの“人間と音楽”のテレビ番を録画して繰り返し見ておりました。一流の人間は一流の音楽に辿り着くのだな。。。などと感じたりしました。そして、音色には人間性が赤裸々に現れるものなのだなと感じたりしました。
    外観もカイザーの名に相応しく高貴でしたが、ステファン・グラッペリとのバイオリンのデュオや、グールドとの演奏などとても楽しそうで素敵ですね。
    病んでからは、パールマンのパーフェクトで優しくて美しい演奏が、一番しっくりするワタクシのようです(^^)

  6. 横浜院長 より:

    Anonymousさん
    ほんとですね。みなさんも、どうぞお気楽にご覧になり、お気楽にカキコお願いしますね(^_^)
    (私は管理者ではないので、このようにタイミングがずれることがあることをお許し下さい)

  7. multibunny より:

    ラフマニノフはピアノ協奏曲の1番が大変不評で、精神科にかかり、その先生のおかげで、自信を取り戻し、後世まで残る2番を作曲しましたね。
    私はアシュケナージの演奏が好きです。
    ホロビッツはロシア人ですが確かユダヤ系でしたっけ?ステージに入るとき、体ではなく鼻先が最初に登場するとかって言われてましたね。
    実家には2番の楽譜あります。第一楽章、第二楽章、第三楽章、ともに完成度高いですよね。初めてこの曲を利いた際のとき、魅了されました。
    真央ちゃんは、もう少しこの曲のバックグラウンドを理解した上で表現できたら、Goldいけてたかもしれないですね。第一楽章の終わりのストレートラインステップはあそこまで力強く表現するのではなく、「やるぞ、やるぞ、私はまだ大丈夫」という危うさを含めたような表現があっているような気がしました。独断ですみません。