横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.147 AERA考察つづき

横浜院長の柏です。毎日暑いですね。ingress walkにも出る気にならず、またまた運動不足になりそうな今日この頃です・・・。さて、ここのところ雑用が重なっておりましてまたまた更新が遅れております。来週からはなんとか週一ペースに戻したいと思っております・・・。では今日は前回に続いて、先日のAERAの記事についてもう少し考えてみましょう。
まずは「製薬会社の販売戦略」について。これは以前より「疾患喧伝」と呼ばれていまして、製薬会社などが大々的に病気啓発キャンペーンを打ち、そのために本来治療の必要のない軽い方々が通院し服薬することになる、というものです。これについての私の考えはシンプルでして、医師がきちんと診断をすれば何ら問題はない、ということです。うつ病であるなら、薬物療法を筆頭にきちんと治療軌道に乗せなくてはなりません。適応障害など他の病気であるならば、通常は最初から抗うつ薬を考えるものではありません。No.125でもお話ししたように、うつ病であるためには「2週間の間ほとんど一日中、ほとんど毎日」症状が続かないといけない、という厳しい条件があります。ここをきちんと考えれば、いわゆる「新型うつ病」といわれる方の多くはうつ病とは診断されません(No.130参照)。私が精神科医になって四半世紀以上、この間に精神科受診の敷居はずっと低くなり、軽症レベルの方の受診が多くなったのは事実でしょう。しかし、この要因としては疾患喧伝よりも、時代や環境の変化からくる労働構造の変化、パーソナリティ構造の変化の方がずっと大きいと思っています(まあこれは感覚でして、証明できるものではないですが)。いずれにせよ、きちんとした診断のもと治療がなされていれば問題ないことですが、問題があるとすればそれは医師の水準の問題なのかも知れません。
続いて「自死の記事」についての意見を書きます。ここでは、SSRI服用開始後に残念ながら自死に至った2名の若い女性について書かれています。うつ病、薬物療法と自殺リスクについては項を改めてきちんとお話ししようと思いますが、この記事では「因果関係は不明」としつつも、「服用開始後、あっという間に彼女は黄泉に旅立っている」「自死と服用薬の因果関係はわからない。不明だが、しかし・・・」といかにも抗うつ薬の投与により自死を選んだ、と言わんばかりの書き方となっています。かつての(今も?)どこかの放射能関係の扇動サイトみたいです。これを読むと、なんとこわいくすりかと思いますよね。たしかにSSRIなどの抗うつ薬の投与を受けた方の一部に逆説的に不安や焦燥、易刺激性の強まる方があることは知られており、アクティベーション・シンドローム(賦活化現象)と呼ばれています。詳細は後述しますが、これは慎重な観察と薬物療法の工夫により予防・対処可能です。むしろ問題なのは、必要な抗うつ薬の投与が受けられないことによりうつ病の改善が得られないことであり、それが長期的な改善度の低下や自殺リスクの上昇につながることが危惧されます。みなさんには、正しい知識を持ってこうした巷の情報をきちんと吟味して読んでいただきたいと切に思います(もちろん、私のひとりごとの是非も自らご判断いただきたいと思います)。
では今日の一曲。ピアノの難曲シリーズを続けておりますが、今日はロシアの作曲家バラキレフ作曲、イスラメイ(東洋風幻想曲)をボリス・ベレゾフスキーのピアノでどうぞ。

コメント

  1. まねきねこ より:

    薬の種類によって合う合わないがあるのが自然だと思いますし、合っていた薬がある時期から合わなくなったりなど、病相の変化もあると思います。一口にSSRIを悪いとは決められないと思います。病相の変化によって投薬も変化させていくところに医師の腕があると思います。「キャシーのbig C」と言う海外ドラマを見ているのですが、キャシーが双極性障害の兄(極端なナチュラリスト)に薬を飲んでくれと懇願するシーンがありました。さすが合理主義のアメリカです。確かに日本は歴史を顧みれば、木の根っこを煎じて飲んで治療としていた時代が長かったので、どーしてもそっちがありがたく思えてしまうのかもしれません。木の根っこの煎じ薬でもマシな方ですよね。加持祈祷なんてのもあったわけで。

  2. 横浜院長 より:

    まねきねこさん
    いつもコメントありがとうございます。
    「キャシーのbig C」知りませんでしたが面白そうですね。
    加持祈祷、シャーマニズムなども精神療法的な意味はあると思いますが、それだけでは治療としては難しいですね。