横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.386 砂漠の一軒家

横浜院長の柏です。ゴールデンウィーク?なにそれおいしいの?という感じで当院は連休中も診療継続しております(祝日は17時までとなります)。
さて、20年以上前ですがアメリカに留学中頃の話。長い休みになるとヨセミテとかザイオンとか、国立公園の旅に出かけるのが一番の楽しみでしたが、そこまで行かなくとも、週末になると近場にドライブによく出かけました。ディズニーランドもユニバーサルスタジオも年間パスを持っていましたが、今日はその話ではありません。私の留学先のサンディエゴを含め、南カリフォルニアはもともと砂漠地帯。巨大なフーバー・ダムを建築してコロラド川からようやく水源を確保しているいわば人工都市群であります。それも、ここ数年は水不足が深刻化してきているようで大変とのこと。なので、ちょっと東の方へ走るとそこは砂漠か山。それでも、そんなところでも家があり、人が住んでいます。まあ土地はいくらでもあって、それこそグランドキャニオンへ向かう道など、砂漠の中を一時間以上景色が変わらずまっすぐ走り続けるとか普通にあるわけですが、それにしてもわざわざこんなところに住まなくても、というところにも誰か住んでいるのです。先住民族が僻地に追いやられて、そこで居住区を作っているという実態もありますが、そうではなく、自らすすんで隣家と10km以上も離れたような場所…砂漠の中とか、山の中とか…に家を構えているようなのです。日本では、ポツンと一軒家、なんて番組になっちゃうくらいですから、少なくとも横浜市では考えられないことですよね。まあしかしそんな環境なので住人は自分の身を自分で守る必要があり、銃規制がゆるいのもやむを得ない一面はあります。
当時は当然ながらテレワークとかなかった時代ですから、砂漠の一軒家で自給自足の、そして周囲との関わりは最低限という生活を送っていたのではないかと想像するわけです。都会人から見るとなんとも不便そうで、人との関わりも少なくて大丈夫なのか?とか心配してしまうわけですが、逆にいうとそんなに人と関わらずに生きていくことができる環境とも言えるわけです。
幼稚園、保育園からはじまり会社での社会人としての生活まで、われわれ現代日本人は人々に囲まれて社会生活を送ることが当たり前になっています。もちろん会社に勤めない働き方もあるけれど、どのみち人と全く関わらない仕事というのはなく、個人事業主であっても客や取引先と会わないわけにはいきません。それでも田舎であれば人里離れた生活も可能でしょうが、横浜では買い物に行くだけでも、スーパーで多くの人にもまれることになります。職業生活を送るにも、学生生活を送るにも、日常生活を送るにも、いずれにしても人との関わりはエッセンシャルなものであり、そこを避けては通れない。なので、精神障害や発達障害の方であっても、人の中でうまく過ごすスキル、人の中で働くスキルが必要と考えられ、そのためのトレーニングの場として就労支援事業所、作業所、デイケアなどが整備されていました。
アメリカでポツンと砂漠の一軒家に住む人たちですが、大草原の小さな家よろしく(インガルス一家はまわりの人々と深く関わっていますが)自給自足の生活がフロンティアスピリットとともに彼の地にあり、人との関わりは最低限でも自然と関わり、充実して生活していく。そんな生き方を想像し、日本でもこんな生き方を求めている人もいるんじゃないか、そんな風に当時感じていたものです。
時代は変わり、インターネットが普及し、コロナ禍とともにテレワークやネット授業も市民権を得てきました。このあたりについては、No.376, No.379あたりでも書きましたね。人と接することがストレスな人にとっては、満員電車にゆられ、大勢の人がざわめくオフィスの中で一日を過ごさなくとも、自宅で誰にも会わずに過ごせることは福音ともいえます。さらには、買い物をネットスーパーやAmazonなど宅配ですませ、食事もUberしちゃえば家から一歩も出なくても生活することは可能な時代となりました。外の畑を耕している砂漠の一軒家のアメリカ人と比べるとずっと家にいる分不健康ではありますが、都会の真ん中でもそうした人と関わらない生活ができる…留学当時から思うと隔世の感がありますね。
人と関わることに大きなストレスを感じる精神障害・発達障害はいろいろあります。自閉スペクトラム症(ASD)はその診断基準に「社会コミュニケーションにおける質的障害」が含まれており、基本的に人と関わることが苦手といえます。ただ、同じASDでも本質的に他者の関与を望まず、一人でいることを望む者と、本当は関わりたいがうまくいかない、という者とがいます。前者は孤立型などとも呼ばれ、スキゾイドパーソナリティとの鑑別も問題となるタイプです。外来でお会いする方々では、前者から後者まで連続的に(それこそスペクトラムを成して)分布していて、どちらかというと後者寄り(人と関わりたい)の人が多い印象があります。今日のテーマに沿うのは前者の孤独を愛するタイプですね。
精神障害の中では、やはり対人恐怖、人と関わることへの不安が強い人がまず挙げられます。社交不安症や、心的外傷後ストレス障害などのトラウマ関連障害がその代表です。後者の場合、中には人との距離感がつかめず、完全に距離を取るかと思うと逆に危険な相手にほいほいとついていってしまうこともあり、周囲や支援者がハラハラする場面も見られることがあります。対人恐怖が強く、引きこもり生活に陥っている方も私の外来にも数名いらして、それが今日のテーマと関連してくる方々です。
テレワーク前提、フルテレワークという仕事や業種が増えてきています。IT専門職のみならず、一般事務職やコールセンター業務、塾予備校教師からピアノの先生などなど、多くの業種がその方向にあります。学校も、とくに通信制の学校がネット授業を取り入れてほとんど登校せずとも学習・卒業が可能となってきています。障害者枠での就労でもテレワーク導入の動きは大きく、すでに完全テレワークとなっている話もよく聞きます。就労移行支援事業所などもオンライン実習が取り入れられてきていましたが、つい最近では就労継続A型事業所で最初からフルテレワークという話も聞き、ついにここまで来たかの念を強くしました。いずれものづくりなど、就労継続B型事業所で行っているような軽作業系なども宅配を利用して各自自宅で行うようになるのではないでしょうか。わからないことがあればzoom経由で職員に聞けばいいので。
これまでわれわれ医療者や支援者は、社会コミュニケーション能力は生きていくために必須であり、たとえ仕事が困難であってもそれだけは身につけようと、基本的生活技能であり必須スキルとして就労訓練のみならず生活訓練、デイケアなどにおいても教育的支援を行ってきました。しかし、基本的に対人関係がストレスであり、また砂漠の一軒家よろしく、テレワーク時代に人と関わらなくとも生きていけるのであれば、無理に対人関係技能を習得しなくてもよいのではないか…というのは言い過ぎでしょうか…そんなことをもやもやと考えるようになりました。
人と関わる欲、社会欲は食欲、睡眠欲、性欲に続くヒトの第4の基本的欲求と言われ、本来なくてはならないもの、そう言われてきました。食欲と睡眠欲はなくなると死んでしまいますからこれだけはどうしようもありませんが、性欲については個人差もあり、最近では性的ダイバーシティも市民権を得ています。その意味では、社会欲についてもダイバーシティがあってもよいのかも知れません。IT技術の進歩が、対人関係を回避したい人でも自立できる方法を作り出したとしたら、それは素晴らしいことだと思いませんか。義手義足や補聴器など、技術革新は多くの身体障害者を助けてきています。精神障害や発達障害においても、技術革新がそのハンディキャップを埋めてくれる時代がもうすぐやってくる…そんなことを思わせてくれますね。
さて、3月に続いて4月も暖かいかと思うと寒くて、5月になっても暖房つけたり冷房つけたり…今年はいつが春だかわかりにくい年ですね。ということで、今日の一曲はシューマンの交響曲第1番「春」にしましょう。バーンスタイン指揮ウィーン・フィルによる名演奏です。ではまた。

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