横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.052 DSM-5

hitori52-a.jpg横浜院長の柏です。今年も半分終わりましたね。このたび、アメリカ精神医学会の精神科診断基準DSM (diagnostic and statistical manual of mental disorders)の最新版であるDSM-5が出版されました。5/22の出版でしたが、ちょっと出遅れようやく今週手元に届きました。
精神科の診断学は、時代とともに大きく変化しますし、流派により考え方が違ったりもします。それを統一して、同じ状態を誰もが同じ言葉で記述できるようにしよう、というのが操作的診断学と呼ばれる考え方であり、その代表格の一つがDSM、もう一つが世界保健機関(WHO)によるICD (International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems) です。DSMはあくまでもアメリカ国内のもので、ICDは国際機関のものですから後者の方が格上のはずですが、実際にはDSMが使われることが多いですね。DSMの方が各項目の記載がクリアカットでわかりやすいことが大きいと思われます。ICDも近日中にICD-11への改訂が予定されていますが、DSMの内容を踏襲することが多いのが現状です。ちなみにICDは精神疾患のみならず、あらゆる病気を記述するものでアルファベット順の分類となっており、Fではじまるのが精神疾患です。
私が医者になった四半世紀前にはDSMの考え方はまだ普及しておらず、研修生活を送った東京大学では伝統的なドイツ精神医学の流れを汲んだ、いわゆる「従来診断」を学びました。おかげで今でもカルテには片言のドイツ語が並びます。当時は、分析の流れの強いK大、単一精神病論に根ざしたTJ大など、研修先によって思考回路に違いが生じる状況にあったと思います。私自身は、その後DSMのメッカであった滋賀医科大学(ここの医局では、あの患者さんは295.30だから・・・といった会話が飛び交う)に移りカルチャーショックを受けました。当初は、これは分類学で診断学ではない!と思いましたが、よく学ぶうちにその合理性に打たれ、今ではDSMのない診療は考えられないところまできました。そのあと移った東京医科歯科大学は今度はICDのメッカ。しかしここは従来診断にDSM, ICDを併記する方法をとっており、非常にバランス感覚に優れた医局だったというのが私の感想です。操作診断だけでは見落としてしまう大切なことも多く、といって従来診断だけでは独善に陥る危険が残ります。患者さんを一人の人間として多面的に捉えることが大切なのと同じように、診断も多面的、多角的に行う必要がある、ということをいつも肝に銘じております。
風来坊な生活を送っていたおかげで、私はいろいろな文化に触れ、精神科医としての視野を広げることができたと思っています。3つの大学を経験するような暇人はそういませんからね。
さてDSMですが、Ⅲ→Ⅳの変化(1994年)よりも大きな変化がいろいろありそうです。ちなみに、これまではローマ数字で序数読み(DSM fourthです。ディーエスエムフォー、と読んでいる人が医者でもおりましたが、あれは間違いでした)から普通の数字読み(ディーエスエムファイブ)となるようです。Mac OSのように、5.1, 5.21とかなっていくんですかね。
うつ病などはあまり変わらないようですが、例えば発達障害などは大きな変化があり、広汎性発達障害は自閉症スペクトラム障害となり、「アスペルガー障害」という言葉はなくなりました。また、これまで特定不能の広汎性発達障害に分類されていた方の一部は自閉症スペクトラム障害には入らず、新たにできた「社会的コミュニケーション障害」に移行する可能性がありそうです(そうはならないとも書いてあるのですが、とてもそうは思えない)。いろいろ混乱がありそうな予感があります。
本ブログでは気分障害編が進行中ですが、DSMを読み込んでから書く必要がありそうです。ちょっとスローダウンすることをお許し下さいね。

コメント

  1. 隊長 より:

    医学が進歩している証明ですね。
    早く自分の病気が完治するのを待っています。

  2. まねきねこ より:

    私は常々感じているのですが、うつ病や統合失調症にかかる人はコミュニケーションが苦手な傾向にあるとされているのが納得いきません。コミュニケーション能力が低いと評価されることは今の時代、全人格を否定されることであると考え、すさまじい恐怖感を持っているのは殆どの世代であり、この傾向は異常な現象であります。それは精神疾患の患者のみの問題ではないと思います。また、そんな異常な世界で、精神疾患が生み出されるのは当たり前のことで、誰がなってもおかしくはなく、個人の資質の問題ではないと思います。あと20年もすれば、精神疾患はコミュニケーション能力の低い人のかかる病気であるとは誰も言わなくなると思います。また、医学的に脳に障害があるコミュニケーション障害についても、もっと絞れらて、科学的な分析が進み、コミュニケーション障害という名称ではなくなるかもしれません。

  3. 横浜院長 より:

    みなさんこんにちは。
    私見ですが、精神疾患はコミュニケーション能力の低い人がかかる、のではなくて、精神疾患になった結果としてコミュニケーション能力に低下が見られる、というのが正しいと思います。
    元気になり、自信を取り戻せればちゃんとコミュニケーション能力は回復します。また、治るというプロセスを経ることにより、一層バランスの良いコミュニケーション能力を獲得する人も珍しくありません。希望を持って治療にあたっていただきたいと思います。
    発達障害の場合は幼少期からのものですから事情が違っていて、新たにコミュニケーションスキルを習得しなくてはならない場合が多々あります。こうしたニーズに少しでも応えられるよう、クリニックとしてもいろいろ工夫を重ねている最中です。