横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.200 まだ上州の山は見えずや

マリオランをやっていたら「下手くそ〜」と息子たちにボロクソ言われ、「ちょっと貸してみ」とホイホイやられ、落ち込んでいる横浜院長の柏です(泣)。気づいたらこのブログも開始から4年半あまり、今回で無事200回を数えることができました。特撮、ingress、クラシック音楽と趣味にばかり走っておりますが、ここまでお付き合いくださり深く感謝いたします。
記念すべき第200回。とっておきのネタとして、わが故郷・群馬県の詩人、萩原朔太郎のことを書きましょう。群馬県人としての私が衝撃を持って読み、愛する詩がこれです。

歸郷

昭和四年の冬、妻と離別し二兒を抱へて故郷に歸る
わが故郷に歸れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。
鳴呼また都を逃れ來て
何所の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未來は絶望の岸に向へり。
砂礫のごとき人生かな!
われ既に勇氣おとろへ
暗憺として長なへに生きるに倦みたり。
いかんぞ故郷に獨り歸り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
汽車は曠野を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸に
人の憤怒を烈しくせり。

昭和4年、朔太郎42歳頃でしょうか。妻も仕事も失い、寂しく故郷に戻る朔太郎の心情が歌われています。「まだ上州の山は見えずや」これは赤城山でしょう。群馬では、東京につながる南以外の三方向、どちらを向いても山が見えます。大学入学で上京した私が東京で最初に感じたことは「山が見えない」…その落ち着かないことたるや。一方で、海なし県で育った私は、海を見ると今でも感動してしまうんですねー。三つ子の魂百までも、ですね。
「過去は寂寥の谷に連なり 未來は絶望の岸に向へり」このあたりはうつ状態の認知そのものと言えるでしょう。うつ状態では、過去は悪い記憶で満たされ、未来も悪いことしかない、としか思えなくなります。その結果、「砂礫のごとき人生かな」と人生そのものの否定に至ってしまうのです。
一行一行の言葉の力がすごい詩ですが、中でも最後の三行。
「汽車は曠野を走り行き 自然の荒寥たる意志の彼岸に 人の憤怒を烈しくせり」ここの筆の力には圧倒されます。自然の意志に相対するところにいる人間の憤怒。憤り、怒り、これらはうつとも関連するネガティブな感情ですが、ここに隠された朔太郎の力、ポテンシャルを私は強く感じます。
そんな朔太郎ですが、こんな言葉も残しています。「絶望の逃走」から。

幸福人とは、過去の自分の生涯から、満足だけを記憶している人びとであり、
不幸人とは、それの反対を記憶している人々である。

「歸郷」の6年後の作品ですね。なんだちゃんとわかってるじゃないですか(^^)v。この言葉は、とても大切なことを示していますね。
「幸福な経験をたくさんした人が幸福人」ではなく、「不幸な経験をたくさんした人が不幸人」ではないのです。つまるところ人間は、実際の現実ではなく「脳の中の過去・現在・未来」を生きています。それらをどう整理して、どう捉えていくか。認知と呼ばれるこのプロセス次第で、同じ体験をした人であっても幸福人にも不幸人にもなることができます。「満足だけを記憶している」というのは、ある意味「認知の歪み」でもあるのですが、私なら幸福人のほうがいいですね。みなさんはいかがでしょうか?
群馬県ネタついでに、200回記念ということで、今日の一曲も切り札を出しましょう(笑)。
群馬県の歌、かの服部良一の作曲です。正月休み中に全員、ちゃんと歌えるようにすること(命令)w


ん?映像がちょっとグンマーと違う気もするけけど、まあいいか(笑)。
服部良一といえば、息子はNo.169でご紹介した「自由の大地」の服部克久、孫が真田丸の服部隆之って、なんかすごいですよね。
今年も終わりますね。私は正月に、りょうもう号の車窓から「まだ上州の山は見えずや」と物思いにふけってくる予定です。では皆様よいお年を。

コメント

  1. 左から3番目のしろたん より:

    お久しぶりです(*´ー`*)
    来年は、外泊許可下りるも4日には収監されるので、
    先生にご挨拶を…
    よいお年をお迎えください。
    来年、退院したらまたよろしくお願いいたします(ノ´∀`*)シュワッチ

  2. 横浜院長 より:

    しろたんさん
    新年おめでとうございます。
    お正月はゆっくりできましたか。
    しっかり調子を戻して、またいらしてくださいね。
    待っています。