横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.248 自閉

hitorigoto-248.pngボキャブライダー、マックスのスカーフがほしい横浜院長の柏です。メダルラッシュにわく平昌オリンピック。清水宏保が「金メダルはうれしい、銀はくやしい、そして銅はほっとする」と語ったそうですが、ほーなるほどー、ですね。銅より銀の方が本当は上のはずですが、人のこころは難しいものです。
統合失調症の中核症状、ブロイラーの四銃士、二番目は自閉Autismsです。自閉症とも言うのですが、ちょっとややこしいですがこれは発達障害の「自閉症」とは別ものなんですね。自閉というと自室にひきこもっている印象かも知れませんが、ここでいう自閉はもっと内面的なものです。現実世界との接触を失い、あるいは拒否し、自分だけの世界に閉じこもって生活しようとする様子のことをいいます。自我障害−自他の境界がはっきり引けない状態−になってくると、外界が自分の中に侵襲的に入り込んできたり、外界がこれまでとは何か違って感じられる−生き生きとした感じがなくなったり、不気味な予感を呈したり−こうした状態になると、人は本能的に身を守るべく、危険な外界から距離を取ろうとするものではないでしょうか。中には被害関係妄想などの形で、外界に敵対する形をとる人もありますが、四面楚歌の状態では長く頑張ることは困難です。刀折れ矢尽きた時…やはり「自閉」の世界に逃げ込まざるを得ないのでしょう。ミンコフスキー(ミノフスキーではない(^_^;)は「現実との生きた接触の消失」と表していますが、まさに本質が凝集した言葉ですね。
さて、最初にこの自閉は発達障害の自閉症とは別もの、と書きましたが、実はより本質的なところでは共通点があることがわかってきています。「現実世界との接触を失い、あるいは拒否し、自分だけの世界に閉じこもって生活しようとする」というのは、発達障害の自閉症でも見られるわけですが、厳密にいうとこちらは現実世界との接触を「失う」わけではなく、生まれつきそこが弱いというところが統合失調症と異なるところです。いずれ詳しく書くつもりですが、発達障害の自閉症の場合、生まれつき外界の認識が弱い−自分以外の「他者」がいることの気づきが遅れる−ところに原因があります。思春期以降に発症する統合失調症の場合は、いったん成立した現実世界との接触が失われる、そこが違うわけです。しかし、起きている状況は近いわけでして、ゲノム研究など、生物学的な研究ではこの両者の共通点が示唆されてきており、発達障害から統合失調症に至る(さらには、ほかの病気にも)幅広い精神疾患のスペクトラムが示されつつあるのが現状です。
最後に今日の一曲。前回、グリーグ作曲「ペール・ギュント」組曲から「朝」をお送りしましたが、ペール・ギュントの最高傑作は第2組曲の終曲「ソルヴェイグの歌」でしょう。シセル・シルシェブーの歌でどうぞ。ではまた。

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