横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.366 摂食障害といのち

横浜院長の柏です。こんなニュースが飛び込んできました。
「14歳中学生を77日間ベッドに拘束 摂食障害で入院の精神科に下った判決は」
摂食障害で食事を拒否し、点滴も抜いてしまう中学生。このまま放っておくと、どんどん痩せて最後は衰弱死してしまいます。この病気の恐ろしいところは、体重が減れば減るだけ、ますます体重を減らしたくなるという病状の加速度的な悪化、すなわち蟻地獄状態となるところにあります。脳に栄養が行かなくなると、「体重を減らさないといけない、やせないといけない」という強迫的な思い込みだけがますます残り、他のことに頭がまわらなくなってしまうのです。
摂食障害に関しては、かつてNo.094からNo.101にかけて解説を行いましたのでそちらを御覧いただきたいのですが、そこでも触れましたとおり、この病気は精神科の病気の中で最も死亡率の高い病気であり、中でも神経性やせ症(いわゆる拒食症)は6-20%と極めて高く報告されています。
記事を読むと、退院されたあとも拘束時のフラッシュバックに苦しむなど、拘束ストレスの大きさを思うとこちらも胸が痛くなります。精神科医療の現場では、病状によっては本人や周囲の安全をはかるため、どうしても患者さんの自由を一時的に束縛しなくてはならない場面があります。精神保健福祉法で定められたその方法が、隔離と拘束です。隔離とは鍵のかかった個室で過ごしていただくこと。拘束とは、同法では「衣類または綿入り帯等を使用して一時的に身体を拘束し、その運動を制限すること」とあります。隔離であれば室内を動くことができますが拘束はそれすらできませんので、行動制限をかけるにしてもできれば隔離ですませたいところです。実際、日本を代表する精神科病院である都立松沢病院では、私も研修医時代大変お世話になった齋藤正彦前院長のもと「身体拘束最小化」プロジェクトを行い、大きな成果を上げているようです。興奮状態や幻覚妄想状態の患者さんでも時間をかけて対話し、薬物を中心とした治療を速やかに行うことにより、拘束という手段を極力取らずに急性期治療を行っているのです。私自身の話になりますが、病棟を封鎖されて外来だけという特殊事情にあった当時の東大病院の精神科研修医は、研修2年目に半年間都立松沢病院で病棟研修を行う習わしがありました。この時回った内科病棟…といっても、精神科患者で内科的対応が必要な人のための病棟…が、私の重症摂食障害の患者さんとの出会いの場所でした。3ヶ月の間に、数人の若い女性患者さん…いかんせん30年以上前のことですが、記憶の限りでは、いずれも中高生…を担当させていただきました。当時は若気の至りもあり、一生懸命患者さんと話して、なんとか点滴やマーゲンチューブ(胃管)を入れさせてもらう。しかし、体重が増えるのが怖い、どんなに痩せていても自分が太っていると感じてしまう摂食障害の嵐の真っ最中では、少しでも体重が増える可能性がある行動をするように言われることは、高所恐怖症の人(私だ…)に大吊橋を渡れというようなもの。なかなか、理屈ではわかっていても実際に行動に移すのは容易ではありません。結果、点滴もマーゲンチューブも抜いてしまい、低栄養リスクに加えて誤嚥性肺炎リスクまで背負ってしまうことになることから、こちらも泣く泣く拘束をしたものです。その後、勤務した二つの大学病院でも摂食障害の入院治療に関わりましたが、病気が極期でどうしてもセルフコントロールが取れない場合、拘束せざるを得ないことは何度もありました。突然死回避のための持続点滴が必要な時期はそんなに長くないので、拘束していたのは長くとも1週間、それも途中からは一日のうちの数時間、点滴の時間のみとなっていたと思います。77日間というのはたしかに長い印象がありますが、一番の問題は医師患者間の信頼関係を十分に作ることができなかったことでしょうね。精神科医は内科医や外科医のように常に死と向き合っているわけではありません。そういうこともあり、重度のうつ病や摂食障害のように死の影が見えている場合、われわれは「いのち」を守るために死力を尽くします。死にものぐるいで必要性を説き、死にものぐるいで拘束せざるを得ない場合があるのです。
そうした必死の熱意が伝われば、あとから、ああ、あの時は必要なことだったんだと、ご本人も心に落とし込むことができるのだと思います。訴訟にまで至ってしまった今回のケースは大変残念ですが、生命の火が消え入りそうな方を救うためには、私は拘束がどうしても必要な場合があることは強く訴えておきたいと思います。何よりも大切なのは「いのち」なのです。
クリニックに移って12年余り。もちろん外来でも命がけで話をする場面はありますが、本当に差し迫った方は病院にお願いしますので、病棟ほどに重症の方と相対することはありません。精神科医としてそうした魅力に後ろ髪を引かれつつ、明日からまた外来診察室に向かいます。
今日の一曲はドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」から有名な第2楽章です。ドヴォルザークならではの哀愁に満ちた名曲です。ジュリアード弦楽四重奏団の演奏でどうぞ。しばらく見てなかったうちにメンバーだいぶ変わったけど、やはり上手いねぇ。ではまた。

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