横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.221 安心と安全

hitorigoto-221.jpg横浜院長の柏です。写真は相鉄口出たところのたい焼きやさん。ブーム便乗ですなぁ。101匹食べたらギャラドスもらえるのかな?(No.185参照)
さて、不安障害については何度も書いてきておりますが、今日は改めて「不安」について書いてみましょう。「不安」…漢文のようにレ点をうてば「安からず」となりますね。「安」とは、安心や安全の「安」ですね。つまり、不安とは「安心でない」「安全でない」ことを表しています。
築地市場の豊洲移転問題が、混迷を深めています。「食の安全」が取りざたされているようですが、さてこの「安全」とは何を指すのでしょうか。世の中には100%安全ということはありません。たった今、巨大隕石が落ちてきて押しつぶされる可能性だってゼロではないのです。一定のリスクは引き受けないと、生活していけません。そこで人類の叡智は、「安全基準」という形でどうすればどこまで安全か、を形にしてきました。しかるにわれわれ日本人という種族は、どうやらもともと不安が強いようなのです。社交不安症(対人恐怖症)の割合が欧米よりも高い、これはもともとシャイとか「恥の文化」というだけでなく、そもそも不安になりやすい(言いかえると、より慎重な種族)ところはあるのではないかと思います。それがこれだけ清潔で衛生的な街を作ってきたのは事実ですが、一方で何か起こると不安で大騒ぎ。東日本大震災・フクイチ事故の際には除染基準として国際基準の20mSv/yでなく、独自に1mSv/yという厳しい基準を設けました。このことの是非は健康追跡調査の結果を見る必要があるでしょうが、自宅に戻れない人々の数が圧倒的に多くなっている、という事実は認識する必要があります。石橋をずっと叩いていては生活が成り立たないこともあるのです。
豊洲・築地にしても、地下水および市場自体の汚染レベルのリスクを正しく評価し、情緒でなく理性で問題を解決しなくてはなりません。海の向こうの偉い人は温暖化をウソだと決めつけるなど、その反知性ぶりはあきれるばかりですが、某都知事も似たものでしょう。この中途半端な状態を長引かせているのは行政能力の欠如、と切って捨てたいと思います。都民ファーストとやらも、誰かさんのアメリカファーストと同じですから、その反知性ぶりもいわんがおや、ということでしょう。都民ファーストということは、横浜市民はセカンド以下ということでしょうから、横浜市民としてしっかりと都政の行方を見守っていきたいと思います。うわー、政治ネタは書かないって言ったのにまた書いちゃったよ(^_^;。
フクイチ事故の際は、私のところにも放射能恐怖を訴える方が数名いらっしゃいました。ほかにも、全般性不安障害、パニック障害、強迫性障害などなど、不安・恐怖を訴える方は大勢いらっしゃいます。不安への処方箋、その一枚目は「安全についての正しい知識を持つこと」です。危険と考えることがおこる確率、おこった際の被害の程度、それらを情緒に流されず、冷静に分析する。それで本当に危険と判断したら回避する。そうでなければ、それを受け流す。人生はそれの連続だと思います。フクイチ事故の際、首都圏から西へ転居した人もいると聞きます。個人の自由ですが、私からみるとリスクの過大評価です。いかに正しい知識をもつことが大切か、身につまされる問題でもあります。(ちなみに私も放射能はただの楽観論者ではありません。研究所や大学ではガイガーカウンターが鳴りまくる中実験してましたし、フクイチ事故の際には自宅用にウクライナ製ガイガーカウンターを取り寄せました。いろいろ勉強・調査した上で、首都圏は安全という評価です)
人間、安全とわかってはじめて安心することができます。もちろん、病的不安の場合には安全とわかっていても安心できないということはありますし、その場合にはしっかりとした治療(薬物療法、認知行動療法など)が必要です。しかし、まずは「安全」と理解するところからすべてははじまる、ということを忘れてはいけません。
今日の一曲は、ヴォーン・ウイリアムズ作曲「グリーンスリーブスの主題による変奏曲」です。イングランド民謡をベースにした名曲ですね。演奏者不明ですが、イングランドの風景が美しい、この動画でどうぞ。ではまた。

コメント