横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.255 生活臨床

横浜院長の柏です。3日の日曜日は、大船デイケアで家族教室の講師を務めました。おいで下さったご家族の皆さん、お疲れ様でした。今回は統合失調症がテーマだったので、生活臨床の観点からご家族がご本人に接するヒントとなるようなことをお話したつもりです。
生活臨床。皆さん、あまり聞き覚えのない単語でしょうね。このブログでは、何度か「いずれ書きますね」と書いているのですが(No.061, No.156)、ようやく機会が巡ってまいりました。
統合失調症を街の中で、生活の中で治していこうとする動きとして、フィンランド発のオープンダイアローグという手法が最近注目されています。またベルギーでは、里親制度なども活用し、街全体が精神病患者を受け入れる街があるなど、いろいろと先駆的な国々の試みが報告されています。一方わが国では現代においても私宅監置のニュースが報じられるなど、まだまだ遅れが指摘されることが多いところです。
しかし、実はわが国でも50年以上前に地方で先駆的な試みがなされておりました。それが、1960年代に群馬県を中心に起きたムーブメントである生活臨床なのです。当時まだ精神分裂病と呼ばれ、薬物療法がようやく始まったという(日本最古の抗精神病薬、コントミン(クロルプロマジン)の発売が1955年)この時代、街に、そして田舎に暮らす患者さん達に向き合っていたのが保健婦(今では保健師と呼ばれますね)さん達です。その群馬県の保健婦さんたちが、実際に街の中で、田舎で患者さんたちと向き合う中で生み出された、実践的な方法論の集積が生活臨床なのです。当時、群馬大学には後に東大教授となる臺弘(うてな・ひろし)先生がおられ、「精神分裂病の再発防止5カ年計画」なる実践的な試みが行われており、大学と地方(保健師)の見事な連携により、生活臨床は単なる実践知を超えて、学問としての体系を身につけるに至りました。
次回お話するように、私は東大病院での研修医の頃にこの生活臨床を叩き込まれたわけですが、わが故郷の群馬県で生まれ育った方法論ということも私のDNAに訴えかけてきたところでしょう。現在、クリニックでは統合失調症の方は割合としては決して多くはないのですが、生活臨床は今でも私の臨床の基盤となっています。ここからしばらく、生活臨床についてじっくりと書いていきたいと思います。
また、私は研修医の頃に臺先生、そしてさらに臺先生の前任教授であった秋元波留夫先生のお話を伺う機会に恵まれました。お二人とも素晴らしい先生で強いインパクトが残っております。お二人とも鬼籍に入られましたが、秋元先生101歳、臺先生100歳とお二人とも一世紀を生きられたのも驚きの一言です。
では今日の一曲。クラシック中心であまりポップス系は得意としないワタクシですが、日本ポップス界で一番歌が上手だと信じて疑わないのが大塚博堂です。ご存知ですか?いわゆるニューミュージック(これって死語か(^_^;)に属するシンガーソングライターですが、1981年に脳内出血にて37歳の若さで夭折されました。ちょうど私が駿台予備校の、今はなき駿台中山寮で暮らしていた時でして、衝撃を受けつつ勉強に励んだ日々を思い出します。アルバムは珠玉の名曲揃いですが、今日は「めぐり逢い紡いで」をどうぞ。ではまた。

コメント

  1. 春日 美和 より:

    今週も診察していただき ありがとうございました。クラシックからヘビーメタルまで何でも聴いている春日です。博道さんのご出身の大分は義母の故郷、広島は夫の移動で3年間だけ過ごした地、音楽祭の行われた横浜は生まれ育った地元…不思議なご縁を感じました。まだ上腕二頭筋と腰が痛いですが、次週は妹の出産予定日もありますので元気に明るく過ごしたいと思います。神戸でもお忙しいとは思いますが海鮮も牛肉も美味しい所ですよね?次回 ちょっとだけでも教えてください!! またのブログ楽しみにしております。

  2. 横浜院長 より:

    春日さん
    コメントありがとうございます。神戸前でバタバタしており、本日確認しました。
    大塚博堂をご存知とは、なかなか通ですね!ヘビメタはちょっと専門外ですんで、今日の一曲には出て来ないかもです(汗)。
    次回、神戸編にできるといいかな、と思っております。