横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.418 生き残るために

新年あけましておめでとうございます。横浜院長の柏です。昨年末は大谷翔平選手、スポーツ史上最高額での契約。日本人として大喝采ですね。ドジャーズで彼がカリフォルニアに残れたのも個人的に嬉しいことでしたが、元サンディエガンとしてパドレスファン30年の私としては、ライバルがさらに強くなり複雑な心境でもあります。さらには山本由伸…むむむ。ダル、そして松井裕樹、一泡吹かせてやろうね。

さてさて、大谷を見ていても人の能力は無限大とも思えますが、彼のようなことは当然ながら誰にでもできるわけではありません。生まれ持った身体能力、運動神経にこれまでの努力、知性などさまざまな要素が重なって「野球のうまさ=野球能力」が培われているわけです。この野球能力は、人のいろいろな力と同じように正規分布をするものと思われます。たぶん(^_^;;。正規分布とは図のような形をとるもので(こちらから引用)、大谷選手はこの右の端の端にいることになります。

「頭の良さ」を見るならIQ(知能指数)のグラフも正規分布をなし、一番IQが低い群が知的障害に(DSM-5以降はIQのみでは決定しないことになりましたが)、その次の群が境界知能として定義されます。また、逆側には一番IQが高い群が来るわけでして、標準(偏差値50)からの乖離という意味では知的障害同様に極端な値を取っているわけですが、表向きの困りごとは少ないことからこちらは障害とは呼ばれず、むしろ高い能力を期待されることになります。

スポーツや受験など、競争を強いられるものでは人並みはずれた力を持つ者、すなわちより中心から離れた者が有利で、競争に参加する者はみなその方向を目指します。だがしかし、この競争…隣の人より自分が優れていることがいいことだ…という考え方は、仏教の教えに従えばただの煩悩に過ぎないものなんですよね。アフリカのハッザ族は集団生活を行いますが、体力が優れた者を中心に捕った獲物を、皆で均等に分けます。そこには貧富の差や格差はなく、みなが平等に過ごせる社会だと言います。そして、そうした平等が徹底された社会ではうつ病が発生しない、というのは以前お話したとおり(No.068など)です。

進化心理学の考え方では、人類の究極目的は「ヒトという種を絶滅させずに続けていけるようにすること」であり、そのためにヒトの中に様々な特徴のある者を作り出しています。暑さに強い人から寒さに強い人までいれば、温暖化・寒冷化など温度環境が変化しても種としては生き残れるでしょう。飽食の時代には血糖値が低いくらいの人のほうが元気ですが、氷河期など食べ物にありつきにくい環境では糖尿病のように血糖値を維持できる人のほうが生き残れるのかも知れません。まあそうは言っても、いろいろな局面で最も適応度が高い、どんな環境でもある程度生き残れるのは「平均的」な人であり、そのため正規分布で中央値周辺が一番多い分布パターンをとります。競争社会で極端値が好まれたのに反して、進化心理学的には(すなわち、人類の本来の姿としては)中央値に近いあたりが最も好まれ、そのため数もより多く、そしてそこから存続のためのバリエーションとして極端値へ向けて分布していると考えるべきでしょう。そう、正規分布というのはサバイバルに最適な分布パターンとも言えるのかも知れません。さて、その点で面白いのが容姿についてですね。美男美女から不細工と言われる人まで、人の容姿は千差万別。もちろんこれは個人によっても時代によっても変わるわけですが、最大公約数としての美の基準というのはあると思われまして、ではこれも正規分布して究極の美男美女は極端値のところにいるかと思えば、さにあらず。実は、多くの人の顔データを重ね合わせたもの、すなわち「平均顔」を美しいと思う人が多い、というデータがあるのです(こちらのページ参照)。これは、人がパートナーを選ぶ際に平均に近い相手に魅力を感じることで、子孫が平均から大きく外れないようにする、という進化心理学的な大きな力が働いていると考えてよいのではないでしょうか。

われらが精神科領域ではヒトの認知・行動・感情などを扱いますが、いろいろな考えの人がいる、いろいろな性格の人がいることで明らかなように、この領域のバリエーションも非常に幅広いものがあります。ドーパミンという神経伝達物質にはいろいろな受容体がありますが、その中の一つ、D4受容体には繰り返し配列があり、その繰り返し回数に多型があることが知られています。研究からはその回数が多いほどnovelty seeking(新奇探索性)が高いというコンセンサスが得られつつあります。新奇探索性とは、新しいものを求める、冒険心が強いといった性格および行動様式をさします。人類は農耕生活に入ってから一箇所に定住して暮らすようになりましたが、気候の変化、環境汚染などによりその場所での生活が難しくなることがあります。その時に、一部積極的に生活の場所を変えようとする人(新奇探索性が高い人)がいると、その人達の方が生き残る可能性が高くなるわけです。しかし、環境が安定している時期であればその場で定住している方が安全であり、新奇探索性が高い人の方がリスクを負うことになります。よって、新奇探索性が低い人が多く、高い人が少ないが必ず存在する、くらいがトータルでは生き残る可能性が一番高くなると考えられます。

では、発達特性との関係で考えてみましょう。定型発達(いわゆる発達障害者ではない人々)が大多数の中、ASDやADHDなどの発達特性をもった人が少数ながら存在し、その特性も強さがスペクトラムを成し、やはり正規分布のような形をとるものと考えられます。どんな発達特性をみるかによって変わりますが、さきほどの新奇探索性でいうなら、ADHD特性とは注意転導性(どんどん注意を新しいものに向ける)多動衝動性(気になるものがあるとすぐに飛びつく)特性であり、新奇探索性は高い人が多そうです(なお、D4受容体とADHDとの間の関係についてはいろいろと研究結果がありますが、まだ断定的なことは言えないようです(参考文献))。一方でASD特性はこだわり、固執性の方向にあり、新奇探索性はむしろ低いのではないでしょうか。

図にするとこんな感じかと思うのですが、まあこれは私の妄想みたいなもんでして、いろいろな発達特性があることが人類を滅亡の危機から救っている理由としてこんなのはどうかというアイディアです。

発達特性に関する人のバリエーション、すなわちニューロダイバーシティ(ブログNo.402参照)が注目されていますが、進化心理学/進化精神医学からはこれは人類が生き残るために必要なものである、という視点ももって捉えていただくとより本質が見えてくるのではないかと思っています。

では今年最初の今日の一曲。まだご紹介していない曲の中に、新年にふさわしい華麗な一曲が残っていました。ショパン作曲ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」を、最晩年のホロヴィッツ・ウィーンライブの映像でお楽しみください。ピアノ教室では指を立てて弾くように教わったものですが、ホロヴィッツは寝かせた指を自由に操り、表現力高い演奏を可能にしています。これを初めて見たときの衝撃は忘れられません。ではまた。今年は更新頑張りますんで(汗)今年も当ブログをよろしくお願いいたします。

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