横浜院長の柏です。今回のタイトルは「不安とうつ」。精神科の外来で一番よく出会う、相談内容の双璧がこの二つですね。不安とうつについて、あるいは不安障害と気分障害について、当然ながらこれらはこれまでに何度も取り上げているテーマです。私の考えとしては、不安は急性ストレスへの生体の防御反応、うつは慢性ストレスへの防御反応です。かつて、肉食動物が突然現れた場合の草食動物の反応を不安の例、肉食動物が居座った場合の草食動物の反応をうつの例としてお話しました(ブログNo.010およびNo.122, No.123)。
目の前に自分を脅かすものが突然現れた場合、生体は本能的に自分の身を守る行動を取ります。急性の不安はそのためにあり、全注意を外に向けて警戒を怠らず、筋肉を緊張させ心拍数や呼吸数を高めて戦う、あるいは逃げる準備をします(交感神経系の働きを高める)。この急性の不安が暴走したのがパニック症です(No.014, No.015参照)。パニック発作では、強烈な不安や上述の自律神経症状が一気に現れます。
(なお、過去ブログでは〇〇障害、としていますが、診断基準の変更があり現在は〇〇症、と呼ぶこととなっています。)
通常は、その自分を脅かすもの(ストレッサー)が去れば自動的に不安のレベルも下がり、もとの安静時に状態に戻るものですが、ここの切り替えがうまくできないのが全般性不安症です(No.022参照)。全般性不安症の場合、その名前が示す通り、最初は特定の不安だったのでしょうが対象が曖昧となり、些細なことまですべて不安になってしまいます。ご当人も、なぜ不安なのかよく分からない状態です。
不安は、不安障害のみならずほかの様々な精神疾患とも深い関わりがあります。うつ病では不安が絡むことが多い、というよりほとんどのケースで不安も治療対象になるといってもいいでしょう。強迫症は、現在は独立したカテゴリーとなっていますが、かつては神経症として不安症の一部と位置づけられていました。不潔恐怖といった名前にも示されている通り、恐怖症性の強い不安があるために、手を洗うなど強迫行為をやらないわけにはいかないのです。摂食障害も不安は切っても切れない関係にあります(ここからの連載もご参照ください)。肥満恐怖、体重が少しでも増えることが、高所恐怖症の人が少しでも高いところに登る時に感じるような強烈な不安を感じてしまうのです。
うつは、上述の自分を脅かすものの存在が長引いた時に発動する、これも生体を守るための自己防衛システムです。急性の不安のメカニズムが作動している(交感神経の働きを高める)間は、全力でアイドリングしているようなもので、ガソリンをどんどん使ってしまいます。その状態が長く続くとガス欠を起こし、いざ戦うor逃げる際に使うエネルギーがなくなってしまいます。それを防ぐのがうつのメカニズムだと、私は考えています。うつとは、一言で言えばエネルギーを低下させることです。生体を低エネルギー状態(省エネモード)にして、不要不急のエネルギーを使わず節約しようとする働きです。食べ物が手に入らない冬場に冬眠する動物と似たものかも知れません。不安がなかったら危険を回避できませんし、うつがなかったら長期にわたるストレスには耐えられません。うつはヒューズやサーモスタットのようなもので、本格的にやばくなる前に回路を切る(レベルを下げる)ことで大ダメージから脳や体を守っているのです。
この省エネモードから、通常モードに戻すスイッチがうまく働かなくなるのがうつ病のようです。体が重く、本来のパフォーマンスが出せない状態が続いてしまいます。「興味・喜びの喪失」という症状がありますが、楽しく喜んで興味に従って行動できるのは健康な印ですが、その状態ではエネルギーをどんどん使ってしまうので、省エネモードではそれを抑制するわけですね。しかし、ここに「抑うつ気分」や「食欲低下」「不眠」などが重なってくるともう完全にサーモスタットの誤作動でして、治療が必要な状態となります。うつ病に陥る場合、脳や体がそこから自分を守ろうとするような何かがあるわけでして、休職や休学などなどによる環境調整も大切です。
別の角度から不安とうつを眺めてみましょう。No.227でも触れましたが、健康な人が現在を生きているのに対して、不安症の方は未来に、うつ病の方は過去に、それぞれ囚われているという大切な一面があります。
全般性不安症の方は、この先なにかよくないことが起こるのではないか、と心配し、広場恐怖を伴うパニック症の方は、次に電車に乗ったらまた発作が起こるに違いない、と考えて電車を回避してしまいます。どちらも、未来に向けて不安緊張が高まっています。
うつ病の方は思考が「後悔」の方向に流れることが多く、「なんであの時あんなことをしたんだろう」「あんなことを言った自分が悪い」といった過去を悔やむ思考に陥りやすい傾向があります。
不安症にしてもうつ病にしても、未来や過去に囚われ、現在が疎かになっているという共通点があります。現在に、今・ここにいる自分に立ち返り、冷静な視点を持てるようにすること。これは、回復の大切なポイントとなります。
さて、今回このテーマを改めて書いてみようと思ったのは、長く臨床をやってきて、最近ふと感じたことがあるためです。不安症とうつ病を比べた場合、どちらも精神医学としては治療法がある程度確立されているわけですが、うまく治らず遷延化・難治化した場合、より治りにくいのはうつ病であろうという印象をずっと持っておりました。しかし、最近感じるのは本当に治りにくいのは不安症の方ではないかということです。もちろんここには私の治療技術の稚拙さや限界もあると思うのですが、「不安」について改めて考えることが増えました。前述のようにうつ病でも、DSM-5では「不安性の苦痛を伴う」という特定用語があり、DSM-5マニュアルによると自殺リスクの高さ、罹病期間の長さ、治療の反応性がないことなどとの関連が指摘されています。
内科疾患などと同じで精神科においても短期決戦、早めの治療介入で早めに寛解、回復につなげるのが一番ですが、なかなかそうもいかないケースもあります。不安症でもうつ病でも、遷延経過に陥った場合は病気とうまくつきあいつつ、しかし寛解をあきらめない長期戦術が必要となります。長くお付き合いしていると、ある時にふと、雪解けのように症状が軽くなる、生活が楽になる場面がやってくる場面によく出会います。このように長い時間をかけて回復に至る、逆に言えば回復のために大変長い時間が必要であることは治療者としてしっかり胸に刻んでおく必要があります。決してあきらめない、時間を味方につけて患者さんとともに病気と向き合っていく。ブログ開始当初に「時薬」について書きましたのでそちらもご一読ください。
このように長期戦になった場合、不安症とうつ病では不安症のほうが寛解率が低い、という印象を最近覚えるようになりました。その理由を考えていて、一つ仮説として考えているのが、さきほどお話した通り、不安は未来を、うつは過去を志向しているということです。時間軸は過去から現在、未来と順に流れています。あの時あんなことをしなければよかった、の「あの時」は、時間が経つにつれてどんどん遠くなっていきます。しかし、不安が志向する未来は、ずっと未来のままで、それこそ近づいてくることはあれ、遠ざかることはありません。脅威が遠ざかっていくか、変わらないか(あるいは近づいてくるか)。そこに、不安症の難しさがあるのではないか、と最近考えるわけです。
なお、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に見られるような特殊な外傷記憶の場合、これは過去のものではありますが「凍りついた記憶」として鮮やかな記憶としてこびりついてしまい、うつの場合にお話ししたように時間が経っても色褪せることがありません。時薬を味方につけることができない点で、PTSDについてはなかなか難しい。時間をかけてじっくり回復を待つのではなく、専門的治療が必要となるのはこの点にポイントがあると思います。
なかなか重い話となってしまいましたが、どんな精神科の病気であれ、人間の脳はそこから回復する力を持っています。最近でも、急性期の幻覚妄想状態のあと3年以上も陰性症状が強く、寝たきりのような生活を送っていた統合失調症の方が雪解けのように動き始め、表情もすっかり取り戻してきたケースを経験しました。一番大切なことは、治療者も本人もあきらめないこと。そこにつきると思っています。
今年2回目の今日の一曲は、モーツァルトのピアノ協奏曲から、第20番ニ短調にしましょう。内田光子の弾き語りの映像を見つけました。オーケストラは、カメラータ・ザルツブルグです。ではまた。
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